日記
「コロナ疲れ」という言葉を知って、ぼくは過去1か月間ここに書いてきた文章の内容を反省してしまった。たしかに昨今はテレビをつけてもインターネットを覗いてもコロナウイルスの話題で持ちきりで、心の休まる隙もない。そのうえでぼくがなおもこの風潮に…
その牧歌的な光景を前にすっかり拍子抜けしていると、男が声を掛けてきた。「カモっちゅうのは、豆は食べないもんですかねえ」「いやあどうでしょう、ふだんは水草なんかを食べてるはずですが」答える声が変にうわずってしまったのは、質問の突拍子の無さの…
完全隔離生活のさなか、これはどうもカフカの小説『変身』みたいだなと思うことがあった。 ある朝とつぜん巨大な虫の姿で目覚めてしまった青年グレゴールは、家族によって寝室にかくまわれ、壁や天井を這い回るだけの無為な生活を送ることになる。家族ははじ…
せめて記事の一件くらいは、ぼくのラナンキュラスのために捧げるべきではないかと思う。屋根裏部屋の天窓の下でぼくが育てていた小さな鉢植えの花のことだ。
呼吸苦は発生から二晩のちには嘘のように消え去ってしまった。
あとの祭りと重々知りながら、ぼくは手を洗いに洗面台に立った。
散歩に出た日から微熱が続いていた。
ぼくは正攻法をとることにした。
朝7時。目覚めは良好。天窓の外は新鮮な日の光に満ちている。
今日もまた、嫌味なくらいに空は晴れ渡っている。
大統領がマスクもせずに病院を訪ねたという事実が李さんにとっていかに大きな衝撃だったか、ぼくにはいまだに推し量りかねる。
ぼくだって、李さんのことを始終笑ってばかりいたわけではない。
バーゼル行きを取りやめたことで、李さんは心の落ち着きを取り戻したようだった。
フランス語が話せないわりに、李さんは近所の市場で顔が知られている。
暇にまかせて昼寝をしていたら、携帯電話の着信音で起こされた。
燦燦と注ぐ日の光が悩ましいものになるなんて、パリ市民の誰が予想しただろう。
やはり世界はきれいにひっくり返ってしまったらしい。
考えてみればこれはいくぶん奇妙な書類だ。
「我々は、戦争中、なのです」
店頭にはオレンジ色のラナンキュラスの小さな鉢が並べられていて、
「もうすぐ閉店しますから、お引き取りの準備を!」