屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

半径1km春めぐり (下)

 ぼくは正攻法をとることにした。

 すなわちジョギングしているふりのような小細工はしない。散歩なんてだめだよと言われたら、それは知りませんでしたとだけ答え、違反の切符を切るか否かはその警官に一任する。彼らだって感染のリスクに晒されながらこうして働いているのだから、その仕事には敬意を払おう。決闘に臨むガンマンさながら、ポケットのなかの証明書に手をかけて橋のうえをまっすぐ進む。

 結論から言うと、警官たちはぼくに見向きもしなかった。通りかかった車の運転席に身を傾けて何か話している。ぼくは彼らの背後に立ち止まって30秒ほど待っていたけれど、邪魔をするのも悪いなと思ってまたすぐに歩き出した。橋の上で何度か振り返ってみたものの、呼び止められる様子はまるでない。散歩は運動に含まれるというお墨付きを得たとぼくは解釈することにした。
 セーヌ川にはシテ島という小島が浮かんでいて、ポン・ヌフ橋はその先端を横切るかたちで架かっている。橋の途中にある階段から島の先端部に降りることができて、そこはかつてぼくのお気に入りの場所だった。思えばずいぶん長いあいだ足を運んでいない。すこし降りてみることにした。
 川面のほど近くに幅30メートルほどの平坦な陸地が浮かんでいて、それが川下に向かいだんだん細くなってゆく。その二等辺三角形のなかに小さな公園があり、そのさらに奥の尖った先に枝垂れ柳がぽつんと植えられている。川の流れゆく先をひとり見つめるその姿が寂し気で、ぼくはパリで暮らし始めたころ独りでよくそこを訪ねたものだった。滅多に行かなくなってしまったのは、いつしかここでの暮らしに慣れて寂しさを感じることが減ったせいだろうか。それとも2年前に傍らに植え足された苗木のおかげで、枝垂れ柳が以前ほど寂し気でなくなってしまったせいだろうか。どちらもあったように思う。ようは互いの環境が変わって、気持ちが通わなくなったのだ。

 公園にも岸辺にも人影はなく、かすかに吹く風が水面に細かいひだを刻んでいた。石畳のうえに浮かぶ朝陽と木々の影の縞模様。それを踏みしめて進んでゆくと、懐かしい柳のシルエットが見えてくる。枝という枝から若葉をいっぱいに吹きだして、すっかり春の装いに身を包んでいる。そのワンピースのすそをくぐって、何年ぶりかの幹の感触を確かめる。視線を上げると太陽光線のシャワーで目がちかちかした。

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 川の流れに隔てられて、ここだけ時間が止まったようだった。人っ子ひとりいないところに非常事態は存在しない。柳の根本に腰を下ろして気ままな居眠りができたらどんなに気持ちがいいだろう。けれども今ぼくの首には見えないリードが付いていて、好きなところで立ち止まることも1kmの先へ行くことも許されていない。ぼくが所属する人類の業の只中へ、非常事態の世界のなかへと帰っていかなければならない。ぼくは柳の髪をくしゃくしゃと撫でてから橋のほうへと引き返した。

 そろそろ屋根裏に戻る時間だ。がらんどうのポンデザール橋をさっきとは逆の方向に渡る。右手にぼくの枝垂れ柳が小さくなってたたずんでいる。左手の彼方にはエッフェル塔が顔を出している。観光船が掻き乱さないとき、セーヌの流れはこうも穏やかなものなのか。
 パリは美しい街だなと思った。こんな気持ちは長らく忘れていた。実際ぼくは自分の狭苦しい部屋やせかせかした人々の暮らし、言ってみれば都市生活全般がたまらなく嫌になっていて、広い森ときれいなお城がある小さな街への引っ越しを画策していたのだ。町はずれに絵に打ち込むのにちょうどよさそうな部屋を見つけ、いざ契約書にサインをしようというところで、その計画は国家もろともロックダウンされてしまった。しかし不思議とこのことに悔いを感じないのは、もしかしたらパリの空気の歴史的浄化と関係があるのかもしれない。生活による淀みが晴れて、美しいものや大切なものの輪郭がまた明瞭に浮かび上がってきたのだ。

 屋根裏部屋に帰り着き、みんなの言うとおり手を石鹸でよく洗ってから、ごく何人かの友達や家族に散歩で撮った写真を送った。元気でいるよという合図が半分、ぼくの美しい半径1kmを誇る気持ちが半分だ。
 ラナンキュラスに水をやってから少しだけ眠ることにした。久々に運動したためか、それとも春の幸福感に浮かされてか、おでこがすこしだけ熱っぽいのだ。

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手前がポンデザール(芸術橋)、遠くに架かっているのがポン・ヌフ(直訳して『新橋』。サラリーマンの聖地と同じ名だ)