屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

これからの日常

 

 今日もまた、嫌味なくらいに空は晴れ渡っている。

半開きの天窓の隙間から暖気がその手を差し込んで、宙づりにされた小舟の模型をくるくる回して遊んでいる。ラナンキュラスは天窓の下で、そのようすを珍しそうにじっと見上げている。
 大通りをバスが通ってゆく音がして、また静寂が訪れる。まれに小鳥がさえずるけれど、白昼の都市に響きわたるその声にはどうしても文明の終焉を思わせるところがある。森のなかで聴かれるそれとはどうしてこうも印象が違うのだろう。人間たちのこの突然の集団失踪を鳥たちはどう解釈しているのだろう。

 思った以上にこれは退屈だ。

 外出制限が始まってから数日のあいだ、世間はある種の高揚感で音もなく沸き立っていたように思う。スーパーマーケットで見られた買い占め現象や、ジョギングする人が普段より増えたという笑えない笑い話もその表れだ。人々は電話やテキストでさかんに連絡を取り合い、SNSへの投稿も引っ切りなしに続いた。それらは例えば「うちで過ごそう」のスローガンだったり、政府に対する批判だったり、出どころの怪しい陰謀論だったり、何千何万という風刺やどぎついジョークの画像だったりした(ぼくが思わず感心したのは「キリストからのお知らせ『地上の状況を鑑み、今年の復活祭は中止いたします。皆さんがこちらに昇ってきてください』」というやつだ)。しかしそれから一週間がたち、非日常という興奮のもやが退いてゆくにつれ、ぼくたちは目の前の変わり果てた生活が、とくべつ何を騒ぎ立てることもない、これから先の日常なのだと気づき始めている。

 なにかやることを見つけなくちゃと多くの人が思っていることだろう。ぼくだってそうだ。くるくる回る小舟の模型を眺めていたって始まらない。ぼくの職業は絵描きであるから、仕事もそのまま続けられそうなものだが、大きな問題がふたつある。油絵具をあつかうにはこの部屋があまりに狭すぎることと、そもそも油絵具自体が手元にないことだ。ぼくの大事な絵具箱はいまルーヴル美術館のなかに閉じ込められている。館から特別な許可を得て館内で模写をはじめた矢先に、美術館が予告もなしに封鎖されてしまったせいだ。真っ暗な倉庫のなかに捨て置かれた絵具箱を思うと胸が痛むが、どうしようもない。この屋根裏部屋からわずか100メートルの距離なのに、会いに行くことは許されていないのだ。そういう恋人たち、友人たち、あるいは家族が、この無遠慮な青空の下にどれほどたくさんいることだろう。

 きのう今日と食糧を買いに出ていないから、動く生身の人間を見ていない。最後に見たのはおとといの、隣人のルイーズとその妹のイレーヌだ。廊下からがさがさと音がするのでドアを開けて顔を出してみると、地べたに置かれた何かの包みを大きなハサミで一生懸命切り開こうとしていた。外から届いたばかりの荷物を手で直に触りたくないらしい。こっちによこしなよ、開けてあげるからと言っても、「触ると危ないからいい、自分で開ける」と頑なだ。
「さてはまたワンピースだね」と言うと、ルイーズは決まりが悪そうに認めた。日常がまだ以前のようだったころに注文した春先用のカーディガンと夏物のワンピースが、こういう日常になってから届いてしまったのだ。世相と不釣り合いに軽やかな小包を手にして配達員はどう思ったのだろう。おいおい勘弁してくれとあきれ返っただろうか、それとも彼にとっては何ら騒ぎ立てることのない日常の業務にすぎなかっただろうか。
「ところで何も不自由はないかい? ちゃんとトイレットペーパーも買えた?」冗談のつもりでぼくが尋ねると、妹のほうが無邪気に答える――「大丈夫、ふたりでたくさん買い置きしたから!」可哀想に姉はたちまち顔を赤くして、そんなにたくさん買っていないと弁解をはじめた。というのも、ぼくがトイレットペーパーの買い占め現象についての意地悪な私見をフランス語で書いたとき、メールを通じて文法上の間違いをチェックしてくれたのが他でもない彼女だったのだ。あのときその内容について彼女がコメントをしなかったのは、なるほどそういうことだったのか。
「大げさなこと言わないでよ、買ったのはたったの3パックでしょ!それも4ロール入りの小さいの!」
「そうだよ!それに君たちは二人なんだから、一人あたりたったの6ロール!むしろ足りないくらいだよ」

ぼくのほうも慌ててしまって、誰に対してか分からないけれどルイーズの弁護を試みる。実際にその程度の量ならば買い占めというより買い置きにあたるだろうし、なによりこの若い姉妹はいま親元から遠く離れて、ふたりぼっちの隔離生活を余儀なくされているのだ。心細さにせっつかれて日用品を買い込んだって、それを責められる人間がいるだろうか。いやもしかしたら、風刺画から抜け出してきたような紋切り型の買い占めをした人たちでさえも、こうして1メートルの安全距離からつぶさに観察してみれば、非難の気持ちがどこかに引っ込んでしまうものなのかもしれない。ひとの弱さや愚かしさが、一歩あゆみよった途端に愛らしさへと変化することが人間にはよくある。
とにかく、ぼくは彼女をこれ以上はずかしめないよう、「あとで手をよく洗ってね」と言い残して早々に部屋に引っ込んだ。

 相も変わらずくるくる回る小舟の模型を眺めていると、携帯電話がピロリンと鳴った。画面のなかには新しいワンピースを着て鏡に映ったルイーズの姿がある。ノースリーブの緑のワンピースで、細かいプリーツの入った薄い生地がこれからの季節にぴったりだ。このあいだまでならドアをノックしに来て、そのままちょっとしたファッションショーが始まるところだったけれど、近ごろ始まった日常においてはそういうことは起こらないらしい。「これを着て外を歩ける夏が楽しみ!」――そういう夏が本当に来ればいいけれど、という疑念は胸のなかに閉じ込めて、両の目をハートにした間抜けなスマイリーと一緒に「ほんとだね!」と書いて送った。

 ぼくはとりあえず文章を書いて過ごすことにした。天窓のなかの四角い空に紙飛行機を投げ込むイメージだ。退屈したとき、人恋しいとき、昼夜を問わず投げ込んでみる。沈黙の街を横切っていって、ときどき偶然だれかの窓に滑り込んだら面白い。

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花屋ですでに開いていた長女の花に比べて、妹たちが小ぶりなことが気になる。やはり日当たりが足りないのか、それとも鉢が小さすぎるのか。

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しかし外は本当に、無闇やたらと晴れている。