屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

みずからを遠く隔離せよ

  呼吸苦は発生から二晩のちには嘘のように消え去ってしまった。

 姿の見えない奇妙な客は、ぼくのあまりにつれない態度に気を悪くして出て行ったみたいだ。お茶ひとつ出さずにひたすら食っちゃ寝を繰り返していたのだから無理もないだろう。のどの違和感もきれいに解消されて、それどころか声の通りが以前より良くなった気さえした。
 
 かといって、鼻歌交じりに散歩をひとつとはいかないのが残念なところだ。Covid-19の症状が消えたあとも患者の体内には数日のあいだウイルスが残っていて、ひとを感染させてしまう恐れがあるという。この期間は軽症者の場合8日間ほどといわれているが、大事をとって2週間は外出を控えるよう推奨されている。検査こそ受けていないもののぼくにもその可能性があるから、14日間は部屋から外には一歩も出ないことに決めた。すなわち散歩も必需品の買い出しもない、正真正銘の隔離生活のはじまりだ。

 こういうときにひとり暮らしは心許ないものだ。ふつうは必要な買い物を家族や友人に代わってもらうことになっていて、外出証明書にもそのための項目があるにはある。しかし仮にも非常事態の街なかにひとを送り出すことになるわけだから、やっぱりぼくはお願いするのに気後れしてしまった。とりわけ希望の品がトイレットペーパーである場合など、まるで自分のおしりの衛生と友人の身の安全を天秤にかけているようで具合の悪いことといったらない。だからぼくは冷蔵庫のなかの野菜くずを、あるいは残りのトイレットペーパーを芯まで完全に使い切ってしまうまで、ひとに助けは求めないことに決めた。

すっからかんで本当にどうしようもなくなったら、となりの部屋のルイーズに救援物資の提供を頼もう。しかしその場合やはり買い物に出られない理由を説明せざるをえないから、結果としてあの病弱な女の子とその妹を戦慄させることになってしまうだろう。万が一出て行ってくれと言われてもぼくには行くあてがないし、願わくはこの二週間をなんとか独りで食いつなげることを…

 不思議なことに、回復してからというもの退屈はまったく問題でなくなっていた。こうして文章を書き始めたおかげもあるけれど、それ以上にこの外出制限の必然性を身をもって知ったおかげだと思う。それはつまり自分はただ闇雲に自由を奪われているのではなく、人を守り人に守られているのだという実感だ。はるか中国は武漢で発生したというウイルスは人から人へと渡り歩き、パリの小さな屋根裏部屋にまで何の苦も無く到達してみせた。ぼくはその目に映らない存在に自らの肺をもって触れ、それが現実であることを知った。スクリーン越しに眺めていた人の苦しみや死が、例えばとなりの部屋で明日にでも起こりうるということを思い知ったのだ。

それだけに、ひとつ想像してみてほしい。ぼくたちが住むこの6階の第三の住人の部屋から、複数の若者の笑い声が漏れてきたときのぼくの憤りを。あの金髪のどら息子め、いつもの馬鹿騒ぎが恋しくなってとうとう仲間を呼んできたな。今日という今日は許さんぞ、とドアノブに手をかけたところで、自分にはこのドアから外に出る権利がないことを思い出す。このときのぼくの懊悩は退屈によるそれよりも遥かに大きなものだった。誰かを危険に晒すことより自分の孤独のほうが耐えがたい、そういう人間も少なからず存在するようなのだ。

 普段からの貧乏暮らしが功を奏して、食糧のほうはよくもった。ブロッコリーの芯は皮をむいてスライスし、お酢をまぶしてレンジでチンすればマリネのようになっておいしい。ニンジンの頭やネギの葉などは細かく刻んで小麦粉のなかに練りこみ、フライパンでこんがりと焼いた。にんにくと塩コショウのみのいわゆる素パスタもなかなか奥深いし、醤油や味噌による和風バージョンも研究の余地がありそうだった。つまりほとんど不自由を感じず、むしろ楽しい食生活を送れたわけだが、トイレットペーパーのほうは話が違った。なにしろその使用法について工夫の仕様がまるでない。トイレに行くたび最後の1ロールは残酷に痩せ細ってゆく。ただそれだけのドライな仕組み。

 ぼくがとうとう音を上げたのは3月最後の日のことだった。となりの姉妹がぼくのドアの前で立ち止まって、なにやらくすくすと笑い合っているのが聞こえる。そのあと扉と床の隙間から一枚の紙切れがねじ込まれたかと思うと、ふたりの足音は逃げるように遠ざかっていった。拾い上げてみると、紙にはこう記されている。

「外出証明書。

xx通りx番地6階のアパート(300平米プール付き)に住むわたしたち姉妹は、以下の理由により外出することをここに宣誓いたします:

『4階にある日系企業のオフィスに侵入し、チョコレート・ムースを奪還。近所のスーパーで売り切れていたのは彼らの仕業と思われるため』

2022年3月33日 パリにて」

 チョコレートムースを買い占めるなんてとんでもない悪徳企業だ。やったれやったれ、キャッツアイみたいでかっこいいぞ。けれども、外側とはいえ今ぼくのドアをやたらと触るのはあまり安心なことではない。ぼくは仕方なく彼女に電話して、自分の身に起こったことを白状した。彼女は案の定たいへん驚きはしたものの、ぼくを追い出しにかかるどころかその身をとても案じてくれた。
「どうしてもっと早く言わないの!食べ物はちゃんとある?」
「すこし野菜を分けてもらえると助かるよ。それから、ちょっと言いにくいんだけど」

「なに? なにが足りないの」
「トイレットペーパーも1ロールほど…」
口にこそ出さなかったけれど、きっと彼女も思い出していたはずだ。トイレットペーパーの買い占め現象に対してぼくが取っていた冷笑的な態度を。1ロールを笑う者は1ロールに泣く。もしも彼女が日本人だったら、そういう新手のことわざを得意げに繰り出してきたかもしれない。

 その日の夜、合図をうけてから部屋のドアをすこし開けると、廊下に食料品の包みとトイレットペーパー3ロールが置かれていた。部屋のなかに引っ張り込んで包みを解くと、野菜どころかお米やお茶や飴玉まで入れられている。人の温かさが身に染みて、自分もひとに何かを与えたいという衝動が心のなかに湧き立つのを感じた。
 とはいえそれがウイルスであっては笑い話にもならないから、ぼくはいま少しこの屋根裏にみずからを隔離しておこう。なにも焦ることはないのだ。助けを必要とする人々なら、非常事態が明けた世界にだって依然として存在することだろう。いつか彼らと出会うときまでこの感情を絶やさずにいられればいい。はじめと比べて多少減ってはきたものの、人々がなおもこうして窓から拍手を送り続けるのも、そう、きっと忘れないためなのだ。

 

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救援物資と、手作り外出証明書。