屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

姿の見えないいやな客

 散歩に出た日から微熱が続いていた。

 (この日記は3月26日の出来事を振り返って書いたものです)
「微熱」というのはあくまで体感で、体温計を持たないぼくには実際の温度を知るすべがなかった。薬局は営業しているので買いに行けないこともないけれど、いまどき体調不良の人間がやたらと外を出歩くことほど世のヒンシュクを買うこともないだろう。もともとぼくはちょっと無理するとすぐにこういう微熱が出るし、ぐっすり眠ればだいたい一晩でよくなってしまう。薬嫌いの医者嫌いで普段は通しているくせに、こういうときだけ大げさに騒ぐのはみっともないぞ。ひとつ様子を見てみよう。そう言いながら二日が過ぎていた。
 長引くなあとは思ったけれど、べつに咳や鼻水が出るわけでもない。のどの不快感と断続的な発熱がだらだらと続くだけで、悪寒とか呼吸のしにくさもない。こんな自分の微々たる異変を世界中を震撼させている感染症に関連付けるのは不遜な気さえしたので、その可能性についてはほとんど考えなかった。

 さいわいにして五日分ほどの食べ物がまだ残っているから、買い物もいまは不要不急というやつだ。心配の種があるとすればトイレットペーパーのストックのみ。買い溜めの流行にむきになって逆らい、スーパーで素通りを続けた結果、トイレにはもう三分の一ほどに痩せこけた1ロールが力なく転がるのみとなってしまった。水溶性の芯までくまなく利用したとして、あと4日間もてば御の字というくらい。これはとんだ下手を打ったものだ。

 そういう些末な心配事より、ぼくは昨日の小池都知事の緊急会見のことが頭に引っかかっていた。てっきり日本でも施設封鎖が始まるものかと思っていたから、「この週末はみっつの密を避けましょう」という牧歌的な内容にずっこけてしまったのだった。まるでウイルスが週末だけフィーバーするパーティーピープルでもあるかのような言い分に、日本の家族や友達のことがかえって心配になってきた。ちょうどフランスである看護師による医療現場からの訴えが話題になっていたから、これを翻訳して紹介すれば注意喚起に役立つかもしれない。そう思い立ってさっそく取り掛かった。時計の針は夜8時を指していて、外からぱらぱらと拍手の音が聞こえてくる。人々が毎夜窓から送る、医療従事者を称える拍手だ。

「お願いだから家にいてください!それがひとの命を救うんです!わたしたちの命を救うんです!」この看護師はフランス西部のドゥ・セーヴルという小さな県の病院に勤務しているらしい。翻訳では表しにくいが言葉遣いはかなり砕けていて、もうお行儀など気にしていられる状況でないことが伝わってくる。となりの部屋から漏れてくるバイオリンの音が重なって、その訴えは異様なまでの悲壮さを帯びた。「私たちは警告したはずです、父と母どちらを救うかを選ばされる日がやってくると。それがいま現実になったんです」翻訳を終えてSNSに投稿した時には、時間はもう夜11時を過ぎていた。

 また少し熱が出てきた気がする。水を一杯飲んでから電気を消して、早々に布団の中にもぐりこんだ。隣の部屋で姉妹が何か話して笑い転げているのを意識のすみで聞きながら、いつしかすとんと眠りにつく。
 
 ・・・つもりが、すぐにベッドから起き上ってしまった。横になると呼吸がとても苦しいことに気がついたのだ。さっきまで翻訳に夢中になっていたから、いつからこうだったのか分からない。けれどもたしかに普段よりずっと呼吸が浅くなっている。微熱を感じることはよくあるけれど、息が苦しくなるなんてことは、少なくとも大人になってからの10年間で一度もなかった。これはひょっとして、あいつがうちにも来たのだろうか。

 ぼくは携帯電話の画面を点灯した。「covid-19 symptômes(症状)」と打ち込んで、フランス厚生省の情報ページを開く。なあんだ全然違うじゃないかと安心してまた横たわる、そういう情報を期待していた。けれどもそこに書かれていた症状はあながち見当違いとも言い切れないものだった。

初期には3~5日間の発熱やのどの痛みが続き、多くの場合自然回復しますが、その後咳や息苦しさなどの呼吸器症状が現れる場合があります。

 そんな馬鹿なと思いを巡らせる。ぼくは李さんの影響で、みんなが油断していたころからそれなりに予防に気をつけていたし、十日も前に始まった外出制限のルールも律儀に守って暮らしていたのだ。買い物に出ても散歩に出ても人と会話なんかしなかった。手もまあ、自分なりに清潔に保っていたつもりだ。
 気のせいだろうと自分に言い聞かせふたたび横になるも、やはり苦しくて寝ていられない。何かのせいで小さくなった肺の容量が自重でさらに圧迫される感じだ。ぼくの体に忍び込んだのがあいつであろうとなかろうと、体に異変が起きているのは明白だった。

 ベッドの上に胡坐をかいて息を整えようと試みる。ひとりが急に心細くなってきた。四方の壁が厚みを増して、ぼくを人間たちのもとから切り離そうとしているみたいだ。となりの姉妹の声はまだかすかに聞こえてくるけれど、どうしよう、連絡してみようか? いや、やめておこう。荷物の包み紙を触ることさえあれだけ怖がっていた二人なのだから、隣人が感染の可能性ありなんて知ったら失神してしまうかもしれない。それにしても、あのとき距離を大きく保っていて本当によかった。この国でロックダウンが決行されたことも本当によかった。もしもそうでなかったら、ぼくは知らず知らずのうちに誰かの命を危険にさらしてしまったかもしれないのだ。

 いつしか隣の部屋の声も聴こえなくなり、完全な無音が場を支配した。ぼくの小さな屋根裏部屋は、まるでそのまま宇宙空間に放逐されたかのようだった。携帯電話の画面を見れば日付が新しくなったばかり。日が昇るまでまだ6時間もある。夜明けがこんなにも待ち遠しいなんて、たぶん少年時代以来のことだろう。あの頃は明日がくるのが楽しみで眠れなかったのに、大人になった今のぼくときたら何という有り様だろう。姿も見えない不気味な客に居座られ、重い沈黙に耐えかねて、文字通り息の詰まる思いで朝の助け舟を待ちわびているなんて…

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日中はこんな写真を撮るぐらいの余裕があったらしい。