屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

市民よ家に籠れ (中)

 考えてみればこれはいくぶん奇妙な書類だ。

 自分のうちで用紙を印刷して、自分に該当すると思われる外出理由に×を付け、自らの手でサインをしたのち、「よろしい、ならば外出しなさい」とひとりつぶやいて外へ出る。意味のない手続きにみえるけれど、外で警察のコントロールにあったときにこれを提示できなかった場合、違反と見なされ38ユーロの罰金を取られるという。むろん虚偽の記述も許されないだろう。

 きのう野菜を買いに出たはずが、思いがけずリュックに花だけ詰めて帰ってきてしまったので、冷蔵庫は空のままである。時計の針は夜の8時を指していて、その数はそのまま外出制限の発効から経過した時間でもある。わずか半日も経たないうちに外に出るなんて情けない、堪え性がないにもほどがあるぞ、そんな風にも思ったけれどこの場合は仕方がない。今宵すきっ腹を抱えたままで眠りにつくことができたとしても、けっきょく明日には買い物に出ざるを得ないのだ。それなら夜闇に紛れてゆくほうが恥も小さいというものだ。

 部屋を出て螺旋階段を下り、門を開いて外に出ると、パリはまったく見知らぬ街へと変貌していた。人の姿はおろか、暮らしの気配そのものが路上から消え去っている。普段であれば夜通し車の騒音が絶えないあのいまいましい大通りは、まるで夜の空港の滑走路のように静かに広々と横たわっている。もぬけの殻の車内を青白い光でぼんやりと浮かび上がらせながら、市営バスだけが夢遊病者のように街なかを徘徊している。レストランもバーも重く扉を閉ざして、三日前までのあの賑わいを夢まぼろしと突き放す。あの夜ぼくがこっそり描いた手を握り合う一組のカップルは、ガラス窓の奥のあの席に座っていたのではなかったか?テーブルの上のミニキャンドルがふたりの手の甲を煌々と照らしていて、ふたりの瞳も飛び火したように赤く潤んでいて、ぼくは黒の鉛筆しか手元にないのを惜しんだはずではなかったか?

 スーパーマーケットに近付くにつれまばらな人影が見えてきた。入口から漏れる無趣味な蛍光灯の光さえ、いまではどこか灯台のそれように尊いものに感じられる。なにせそこには人間たちがいて、社会生活が営まれているのだ。
 しかし店内は閑散としていた。入口を守る警備スタッフにこんばんはと笑いかけてみたけれど、本日初めて顔を合わせた人類としては彼は非常にそっけなかった。お客どうしで1メートルの間隔を保ちましょう、無人会計機は3時間ごとに消毒しています、そういう旨の立札があちこちに出ていて、店員はみなマスクをしている。無人レジで会計をする客のなかには、抗菌手袋をはめた手でおそるおそるパネルを操作する若い女の子の姿さえある。あの手がつい三日前までカフェのテラスで恋人の髪を撫で、そのままパンを口に運んでいたかもしれないことを思えば、本当に世界情勢が一変したかのようである。もしかしてぼくの知らないところで、ある優秀な科学者によってウイルスの変異が報告されて、その危険性が一夜のうちに何十倍に跳ね上がったのだろうか?
 もちろんそんな話は聞かない。変異はひとえに事態に対する人々の認識のなかに起きた。人は認識のひとひねりによって、世界を様相をまるで一枚のパンケーキみたいに、いとも容易くひっくり返してしまったのだ。   (続く)

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外出証明書。後ろにあるのは友人の一人娘Alineちゃんの作品。守り育むべき才能である。