(前回の記事の続きです)
海外で提供されているヘンテコな日本食に対して、日本人は不寛容だという批判がある。よその国には日本のような「食の国粋主義」はないというのだ。それが嘘だということは、「お鍋ひとつで簡単カルボナーラ」がイタリアにもたらした阿鼻叫喚を見れば明白だ。
簡単カルボナーラのレシピはSNSの波に乗り、アルプス山脈の向こう側であっという間に拡散された。動画の再生回数は150万回を超え、Démotivateur社のFacebookページやTwitterはイタリア発の罵詈雑言や嘲りのコメントで溢れかえった。
「よくもカルボナーラを殺したな!」
「フランスで死んだカルボナーラに5分間の黙祷を…」
「モナリザはもうお前らにやっただろ?カルボナーラには手を出さないでくれよ」(モナリザの作者ダ・ヴィンチはイタリア人)
「自分たちのエスカルゴにだけ集中してればよかったものを…」
「イタリアで一番穏やかなママでさえ鳥肌を立てるようなビデオだ」
「うちのばあちゃんがこれ見たら、画面に靴を投げつけるぞ!」
「この動画はセンシティブな内容を含みます。心臓の弱い方にはお勧めできません」……
こうした批判のアルプス越えの大攻勢を受けて、Démotivateur社はほどなく動画を削除した(前回の記事に貼った動画はイタリア側で保存、投稿されたもの)。しかし時すでに遅し。国境を跨いでの炎上劇は両国の新聞やテレビのニュースの見出しを飾り、果ては遥かアメリカのメディアで取り上げられるほど大きなものとなってしまった。
困ったのは「簡単カルボナーラ」で使われたパスタの製造元であるイタリアのBarilla社だ。レシピ動画のスポンサーとして名前が上がっていたために、自社商品の宣伝のためにフランス人のカルボナーラ殺しに加担したとして、同胞たちから怒りの矛先を向けられ始めたのだ。SNSでは「Barillaの商品は二度と買わない」というコメントさえ散見された。この窮地から脱するべく、同社広報は騒動発生から2週間後、Facebookで以下のようなコメントを出した。
Mon Dieu!(フランス語で『Oh my god!』の意)
神秘の料理カルボナーラに加えられる創造的なアレンジについて、私たちはいつもオープンではありますが、いくら何でもこれはやりすぎです…Désolé!(フランス語で『ごめんね/お気の毒に!』の意)
私たちのシェフによる正統派レシピをご覧になって、あの茹であげられたベーコンのことは忘れるように努めてくださいね。X(
恥も外聞もへったくれもない、見事なとかげの尻尾切りである。しかしこの手は功を奏して、Barilla社は自国の消費者の信頼を取り戻すことができたと見える。それが証拠に同社は今年、記事の前編で触れたとおりのショートフィルムを公開し、イタリア人はもちろん、世界じゅうのカルボナーラファンから賞賛の声を受けている。なんともちゃっかりしたものだ。
さて、この記事を書き終えようとして、ぼくにはひとつ思い当たったことがある。国際カルボナーラ・デイ制定の謎に関してだ。ひょっとして、これは単なるパスタ業界のマーケティング戦略ではなくて、隣国フランスに向けられた意地悪な当てこすりなのではないか?
「簡単カルボナーラ」の炎上事件が2016年の出来事で、記念日の制定はその翌年。そして4月6日という一見意味のない日付はといえば、Barilla社が手のひら返しをかましたコメントの投稿日と同じだ。残念ながら今では調べようがないけれど、もしかしたらレシピ動画が削除されたのも同じ日のことだったかもしれない。
ようするに、カルボナーラ・デイとは実際のところイタリアの対仏戦勝記念日なのではないかとぼくは邪推してしまうのだ。思えばフランスという国は、イタリアにとって目の上のたんこぶのようなところがある。芸術や食などの文化面では甲乙つけがたいものの、経済規模や国際社会での存在感はどうしてもイタリアが遅れを取ってしまう。歴史のうえでもナポレオンによる支配を受けたし、連合国には降伏させられた。国民感情に多少のわだかまりがあったとしても、別に不自然なことはないのだ。そのフランスがこの度は自分たちのホームスタジアムにのこのこ迷い込んできて、あげく間抜けな自殺点を決めてみせたのだから、野次のひとつも投げたくなるのはまた無理のないことだと思う。
もちろん、簡単カルボナーラにイタリア人があれほど怒ったのは、なにより自国の食文化への愛と誇りのゆえだろう。けれども怒りの煮え湯のなかに、塩ひとつまみほどのコンプレックスがシュッと溶けて消えてゆく快感をも、彼らは同時に楽しんでいたのかもしれない。
(おわり)
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