屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

ある老画家の脱出劇 (四)

 ぼくだって、李さんのことを始終笑ってばかりいたわけではない。

  日々イタリアで体躯を膨らませてゆくその怪物の性質が報じられるにつれ、ぼくのなかでも一抹の不安が育ちはじめていた。そいつは非常に狡猾で、病を抱えた人や高齢者を探して街をうろつき回っているが、しばしば若く健康な者を騙して案内役に取るらしい。ぼくの周りには糖尿病をもつ八十余歳の李さんとしょっちゅう病気で寝込んでいる隣人のルイーズがいるから、もしもそいつが本当にパリをうろつきだしたら大変だ。ぼくが彼らを怪物の前に差し出してしまう可能性だって出てくるわけだから。

 しかし怪物の首都入城は間もなく、そして音もなくなされた。2月25日にひとりの男性教師がパリの病院に運び込まれ亡くなった。フランス人としては初めての死者となったこの男性はまだ60歳と十分に若く、中国はおろかイタリアへの渡航歴も特別な接点もなかったという。
「ということは、パリにもすでに病気は入ってきているっちゅうことだね」
劣勢に陥った軍師のように李さんはつぶやく。テーブルの上には常用している高血圧の薬と、自分で買ってきたらしいアルコール液の大きなボトルが2本並んでいる。人々の様子はどうだいという李さんの問いに、ぼくは胸を痛めながらもこう答えるほかなかった。
「これといってなにも変わりません。神経質な人が握手やビズを躊躇うようになったかなというぐらい。メトロもバスもレストランも人でいっぱいですよ」
「マスクもなしに?」
「ひとりも見ませんね」
「やっぱりぼくは今日も市場に行かないから、牛乳屋のばあちゃんにはあなたからよろしく伝えておいてよ」

 変わらぬ賑わいの市場を歩きながらぼくは李さんの孤独を思った。ぼくは彼のことを空が崩れてくるぞと怯える杞の人あつかいしているけれど、ぼくと彼とでは空の見え方が違っていてしかるべきなのだ。ぼくがもし李さんのようにフランス語のニュースも読めず、まわりで話されていることも分からなかったら、やはりこの国や社会を脆弱で頼りないもののように感じてしまうだろう。まして疾患を持つ高齢者だもの、流行り病には敏感になって当然だ。いま目の前をよちよち歩くこのおじいさんや、いつもおまけをしてくれる牛乳屋のばあちゃんだって、言葉や態度に出さないだけで不安な日々を過ごしているのかもしれない。アジア人への偏見と言えばいかにも聞こえが悪いけれど、彼らに余計な恐怖を与えないよう、ぼくのほうからすこし距離を経て接してあげるのも思いやりかもしれないな……。 ぼくはこの日から、友達からの遊びの誘いもできるだけ辞退するようになった。ある老画家を怪物からかくまうためなのだ、どうかご理解願いたい、などとはもちろん言わなかったけれど。

 李さんの緊張の糸がついに切れたのは3月1日のことだ。朝ぼくがアトリエのドアを開けるやいなや、彼はこう切り出したのだ。
「おれはもうできるだけ早く台湾に帰ることにした」
李さんの刷り込みのおかげで感染者数チェックがすっかり習慣化していたぼくには、理由はすぐにピンときた。この数日でその数が日ごと倍増し、あっという間に100人に達したことを恐れているのだろう。

「急に三桁になりましたもんね」
「いや、それもあるけれど、違うんだよ」李さんはいかにも忌々しげに続ける。
「この国の大統領のマクロンってやつがいるだろう。家内が言うには、あれが病院を訪ねたところが台湾のニュースで映ったらしいんだ。ほら、こないだはじめて死者が出たっていうパリの病院だよ」
「ええ、そしたら?」

「あいつ、マスクもしてなかったっていうんだ!」     (続く)

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3月1日夜のパリ。