屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

「差別じゃない」という欺瞞。デンベレ動画と擁護記事について

 プライベート動画の流出により、人種差別をしたとの批判にさらされているデンベレグリーズマン両選手。パリ在住の作家・辻仁成さんがブログで彼らを擁護していると聞いて該当記事を読んでみた。

記事を要約してみよう。――日本での報道内容はイギリスのネットメディアの記事を鵜呑みにしたもので、この英文の元記事がデンベレ選手のスラング混じりのフランス語を誤訳しているものだから、彼が日本人を差別したという「誤解」が日本で広まってしまった。誤訳が原因の騒動だからフランス本国ではほとんど話題にあがっておらず、辻さんご本人にとっても動画のどこが差別的なのかピンと来なかったので、フランス人の知人とともに「悪意がなくてよかったね」と胸を撫で下ろした。不注意によって誤解を招いてしまったふたりの選手には、反省を促すとともに激励を送りたい。――大体そんな内容だ。

www.designstoriesinc.com
 この投稿はいわゆる「アクロバティック擁護」としてプチ炎上を招いているらしい。正直なところぼくもそういう印象を受けた。辻さんはフランス語があまり得意ではないようだから(というのも、デンベレ選手の発言の聞き取りと書き出しの両面で初歩的な間違いがいくつも見られる)、動画の内容を本当に読み違えている可能性は十分にあるだろう。しかしその一方で、自分のアイデンティティの一部が攻撃されたという事実から目を背けたい、臭いものには蓋をして済ませたいという逃げの心理が働いたのではと勘繰ってしまうところもある。もちろん物事をどう解釈しようとそれは個人の自由だが、知名度のある人が誤った情報を吹聴し、さらには誤解などという軽い言葉でお茶を濁しにかかるのはあまり良くないことだと思う。

 彼の記事には少なからぬ誤謬が見られるけれど、ここではいちばん重大なものを取り急ぎ指摘しておきたい。なぜならぼくにはこの誤りが、フランスおよび良識あるフランス人たちの名誉に関わるものに思われるからだ。


 「フランス人はこの動画を差別的だと感じない。だから本国で話題にならない」

 これはとんでもないデタラメである。たしかに日本での炎上ぶりに比べればフランスにおける報道は控えめに始まり、ぼく自身も動画のことを日本のニュース記事から知った。しかしそれは単にフランス国内での動画の認知が東アジア各国よりも少し遅れたというだけで、7月5日現在はフランス主要メディアの多くがこの話題に紙面を割いている。

ここでとても重要なのは、それらのメディアが問題の動画を明確に「人種差別的」だと形容している点だ。ぼくはあれこれ記事を覗いてみたけれど、スポーツ新聞から地方紙に至るまで、両選手の差別的意図を疑問視する論調のものはひとつも見つけられなかった。

 一例として、フランス最多の発行部数を誇る日刊紙「ル・フィガロ」の7月4日付の記事を翻訳してみよう。グリーズマンデンベレ アジア人差別で横滑り SNSが炎上』というタイトルで、小見出しの中にはすでにはっきりと「人種差別的発言のある動画(on entend des propos racistes)」と記されている。

www.lefigaro.frProblème ? Les deux internationaux tricolores se prêtent à des plaisanteries de mauvais goût, se moquant ouvertement de l'origine des employés en question, à grand renfort de zooms peu avantageux et de rires gras.
(ビデオの)何が問題か? サッカー仏代表の二名が悪趣味な冗談に加担して、不必要なズームと含み笑いを繰り返しながら、ホテルの従業員たちの出自を公然と嘲笑しているのだ。
«Oh putain, la langue…», sourit d'abord Dembélé, évoquant les échanges entre les techniciens. Et d'ajouter, tout sourire : «Toutes ces sales gueules… Pour jouer à PES mon frère…». S'il ne dit rien d'audible au cours de la séquence concernée, disons que «Grizou» est (très) bon public… Et il s'amuse des propos plus que «borderline» de son coéquipier en club et en sélection.

「ああチクショウ、この言葉…」スタッフ間で交わされているやりとりを指してデンベレは笑い、こう続ける――「このひどい顔した奴ら、みんな…(俺たちが)ウイイレをやるためにいるんだぞ。恥ずかしくないのか、兄弟!」グリーズマンは動画のなかで聴きとれることは何も言わないが、一方でとてもよい聴き役だ。チームメイトの『ボーダーライン』を越えた発言の数々を愉快そうに聞いている。
«Vous êtes en avance ou vous n'êtes pas en avance dans votre pays ?», ajoute encore Ousmane Dembélé, n'ayant pas peur des clichés sur les Asiatiques. Dans une autre vidéo, Griezmann semble enfin se livrer à une caricature grossière en imitant le parler asiatique.
デンベレはさらに、アジア人に対するステレオタイプを臆面もなく口にする――『技術が進んでいるのかいないのか、どっちなんだ? お前たちの国は』。またこれとは別の動画では、グリーズマンもようやく自らを解放し、アジア人の話し方を無作法なやり方で口真似している。

 
…さあどうだろう? 日本のメディアの報道の主旨とそんなに大きく違うだろうか?
 
 
たしかに辻さんが指摘するとおり、日本で出ている記事のなかには翻訳の飛躍したものがある。文脈からして「恥ずかしくないのか」は従業員でなくグリーズマン選手に向けられた言葉だし、「後進国の言葉」だなんてデンベレ選手は言っていない。しかしこういう誤訳がなくたって、動画はすでに「ボーダーライン越え」、つまり人種差別にあたるものだと判断されているのだ。当然ながらその内容には多くのフランス人が憤ったり呆れかえったり、自国代表の世界的な醜聞に恥じ入ったりしている。両選手は5日の昼過ぎにSNSで謝罪コメントを投稿したが、それがフランス語で綴られているのは国内の批判の高まりに対処せざるを得なくなったからに他ならない。しかしその謝罪さえも表面的で言い訳がましいと更なる批判を呼んでしまうほど、自国においても彼らは針のむしろの中にある。(参考記事『人種差別:デンベレのあまりに不器用な弁明』サッカー専門情報サイトより)

www.footmercato.net

 

 以上のことから、辻仁成さんによる「誤解説」は事実とかなり隔たったものだと言わざるをえない。また意図的ではなかったにせよ、いい加減な情報で日本の人々の憤りを煙に巻き、またフランス社会が人種差別に無関心であるかのような印象を与えている点でも、彼のブログの内容は問題があると思う。

 


 アメリカにおけるアジア人への憎悪犯罪の酷いニュースが連日報道されていたあいだ、フランスは比較的平和だった。ぼく自身は外出する際に身の安全など一度も心配しなかったし、差別的な言葉や態度で傷つけられた覚えもない。しかしこうした安全安心が無料で転がっているものではけしてないことを、コロナ禍を通してぼくは改めて実感させられた。ぼくがのうのうと享受する平和は、ぼくに代わって矢面に立ち戦った誰かが勝ち取ってくれたものなのだ。
 移民の二世三世としてこの国で育ったアジア系フランス人の若い世代は、自分たちに向けられる差別や偏見に毅然とノーを突きつけている。彼らは去年の1月末というパンデミックのごく始めのうちに「#JeNeSuisPasUnVirus(私はウイルスじゃない)」というハッシュタグTwitterで拡散し、これがメディアに大きく取り上げられたことで社会の啓蒙に貢献した。また、ネット上のヘイトスピーチに対して法的措置を取った中国系青年団体は、アジア人への暴力をほのめかしたツイートの主を法廷に引きずり出し、うち4名から有罪判決を勝ち取った。(コロナ流行を中国人のせいに、反アジアツイート学生4人に有罪判決 仏 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News) 

「アジア人に対する人種差別問題はいまだに軽視されがちです。それはなぜだとお考えですか?」ジャーナリストの質問に対し、彼らはしばしばこう答えている。

「差別を受ける当事者が抗議の声を上げずにきたからでしょう。でも、私たちの世代は違います。私たちはもう黙ってはいません」


 だから差別を受ける当事者がへんに相手を慮って、仲間内でのスラングがどうとか、誤解がどうとか、逃げ道確保に奔走してやる必要はないとぼくは思うのだ。その逃げ道はこの種の言葉の失態を犯した人が必ず試みる陳腐なものだし、現にデンベレ選手の弁明文の内容は辻さんの試みたアクロバティック擁護にそっくりだ。これで留飲を下げられる人はそんなに多くないだろう。
 多くの日本人あるいはアジア人と同じように、ぼくは怒るのがあまり得意ではないけれど、必要とあらばお茶濁しでなく青筋を立てて抗議のできる人間でありたいと近頃はよく考える。誰かが戦って築いてくれている権利や安全、社会が必死で維持しようとしている価値観のうえにタダ乗りしているばかりではずるいからだ。たまには自分も、よりよい世界の建設のために進んでレンガを積まなくちゃ。


にほんブログ村 海外生活ブログへ    ←「にほんブログ村」というブログのランキングサイトに参加しております。この『海外ブログ』というボタンをクリックしていただけると、ぼくが嬉しい気持ちになります。よかったらひとつ、よろしくお願いします!