屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

ウイルスと花 (下)

 店頭にはオレンジ色のラナンキュラスの小さな鉢が並べられていて、

 もと来た道を振り返ってみても、それは灰色にくすんだ通りでほとんど唯一の暖色だ。6、7人ほどがめいめい鉢や花束を抱えて会計の順番を待っている。思わず車道を横切って、一鉢手に取り最後尾に並んだ。年配の客がほとんどのその行列は、お隣どうし距離を取り合って昨日までの倍ほどに長い。
 カウンターの向こうでは女性が一人で忙しく働いていた。先頭の婦人が自分の花を差し出しながら「お宅は店を閉めないんですか」と尋ねた。笑みをたたえてはいたけれど、その言葉にはほんのかすかな批難の棘が潜んでいるようにも思われた。

「閉めなくちゃいけないんでしょうけど、なにせ急なことで、せっかくの花が全部だめになっちゃいますから、今朝だけ開けています」

店員の女性は答える。花というのは紛れもなく生もので、仕入れてしまったら日持ちが効かない。ところが食料品とは違って生活必需品とは見なされないため店を開けることも許されず、ようは大損害である。一瞬彼女の表情が泣き出しそうに歪んだのも、たぶん僕の見間違いではないのだ。
 僕の順番が来て、ラナンキュラスをカウンターにおいて5ユーロを差し出すと、今朝はぜんぶ半額にしていますから2.5ユーロでけっこうですという。たまらなく気の毒になって、黄色と白のチューリップの花束を一つずつ取って会計に加えた。

「せめてうちのなかにぐらいは明るい色が欲しかったので助かりました。こんなときには花ってまったく生活必需品ですねえ。お店を開けてくれていてありがとう」

意図せぬ棘が彼女を刺してしまわぬように、できるだけ呑気な口調でこう言うと、女性は笑って、わずかに声を上ずらせながら「来てくれてありがとう」と答えた。

 彼女の開店は違反であるから、もしも誰かが通報したら警官が飛んできて、たぶん罰金を取られるのだろう。僕の買い物も無責任な励ましの言葉も、誉められたものではないかもしれない。しかし彼女はおそらくは抜き差しならぬ事情から店を開けてしまって、僕は意志の薄弱さゆえに花を買ってしまった。花だってもう開いてしまっていて、世相を鑑みつぼみの姿に後戻りなんてできやしないのだ。暗く閉ざされた店内で顧みられず朽ちてゆく悲運からこの花たちは辛くも逃れ、僕と彼女はその脱獄の共犯者である。片棒を担いでしまったからには、この花たちの色と命を世のために役立てることが、自分がとるべき責任の形と言えるのかもしれない。


 携えていたリュックの口を大きく開いてチューリップの花束を差し込み、ラナンキュラスの鉢は側面のポケットに突っ込んだ。リュックを背負った後姿を真っ暗なレストランのガラスに映して、どの角度からも花がきちんと見えていることを確認する。
 こうして再び人影まばらな通りを歩いて行くのである。黄色と白とオレンジが依然として世にあることを、かわいい花がゆらゆら揺れていることを、誰にともなく知らしめようとしているのである。

 

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