屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

市民よ家に籠れ (上)

「我々は、戦争中、なのです」

   出来の悪い子に言って聞かせる先生のような調子で、彼はこのフレーズを6回は繰り返しただろうか。生活に不可欠なものを除くフランス国内の全ての施設の閉鎖が宣言されてからちょうど48時間後、今度はマクロン大統領により新たな感染拡大対策が発表された。明日正午より最短15日間にわたる厳格な外出規制である。
「医療の現場が事態の重さをこれほど警告している一方で、公園に集まる人々、人でいっぱいの市場、指令に反して営業していたレストランやバーがいまだに見られました。まるで暮らしが何も変わっていないかのように。……家族間であれ友人間であれ、外部で寄り集うことはもう許されません。公園や路上で待ち合わせることもできません。……人の移動は最小限に制限されます。すなわち必要最小限の買い物、通院や治療のための移動、テレワークが不可能な場合に限っての通勤です。すべての企業がテレワークに最大限対応する義務を負います。すべての違反行為は処罰の対象です」

 この発表をもってフランス政府は感染対策の盤上で大きく駒を進めたことになる。彼らが睨む対局相手があのいぼだらけのウイルスの顔をしているとしたら、勝手気ままに動き回ってはその勢力拡大に貢献するぼくたち市民は、味方というより敵の駒に近しい存在なのかもしれない。

 外出証明書という物々しい名のついた新書類を政府ホームページから印刷しながら、ぼくはラナンキュラスの鉢に目をやった。こうなる前にこいつを買って帰ってきたのは幸いだった。ろくに外には出られなくても、日々膨らんでゆく蕾を見ていればいくらか春を感じられるし、ひとり暮らしのぼくにとっては、彼女のほかには生命体にお目にかかれないという日だって訪れうるからだ。一緒に買った切り花のチューリップは、残念ながら解放の日を一緒に迎えられないだろう。

 この発表が世に及ぼした衝撃のほどを示すかのように、普段は大人しいぼくの携帯電話がにわかにせわしく鳴り始めた。パリの身近な友人から、日本にいる家族から、世界のあちらこちらから様子伺いの連絡が届く。ちゃんとニュースを見ているか、食べ物はちゃんと買えるのか、いっそこちらに避難してきたらどうだ。こうした彼らの温かい配慮は大概決まった一言で結ばれる。「だってきみ、あんなに小さな部屋に何日も閉じ込められるっていうんじゃあ・・・」大きなお世話と言いたいところだが、実際これは切実な問題だ。たしかにぼくのアパートは小さい。キッチンで眠り寝室で飯を炊く、そんな冗談をつい思いついてしまう程度には慎ましいワンルームである。おまけに屋根裏部屋なので、壁の一面がこちらに覆いかぶさるように斜めになっていて、そこに付いている気持ちばかりの天窓もあまり快適なものとはいえない。これから始まる先の知れない病原体との籠城戦に、飛車角落ちで従軍するような心もとなさである。

 老いぼれたプリンターが息も絶え絶えに外出証明書を刷り終えた。ぼくに外出の権利を与えるこの一枚の紙切れが、陣地も手駒もほとんど持たないぼくにとっては文字通りの切り札なのである。

(続く)

 

f:id:Shoshi:20200325042511j:plain

うちに来て2日目の花子。新たな蕾がまどろんでいる。