屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

ある老画家の脱出劇 (二)

 フランス語が話せないわりに、李さんは近所の市場で顔が知られている。

 しばしば代わりに買い物に来るぼくも大体の店の馴染みの客だ。

「あら久しぶりね。画家のムッシューはパリに戻ってきたの?」

「先週戻ってきたばかりです、こんど連れてきますよ。いつもの塩気の少ないチーズをくださいな」
「おう、コンニチハ(ぼくが日本人と知っている)!じいちゃん元気か?」
「ニイハオ(彼らは中国人である)、トマトとブロッコリーとねぎをください。それから何度も言うようだけど、あの人はぼくのじいちゃんじゃないってば」
市場の帰りに薬局に寄った。先日ついた半分の嘘がやはりすこし後ろめたくなったからだ。
「N95のマスクはありますか」
「そういう規格は工事現場用ですよ。うちにあるのはこれだけです」
「これもなんだか『業務用』って感じ」
「そりゃもちろん。普通の人は欲しがりませんから」
ぼくはその大きな箱入りのマスクを買って李さんの家に帰った。彼はこれでもないよりはましだと安心した様子だった。ぼくも胸の荷が下りた思いで、キッチンに立ってふたりぶんの昼食作りに取り掛かる。

 李さんがバーゼル行きを断念したのは、それから5日後のことだ。奥さんの反対を聞き入れてのことである。

「家内に言わせるとね、そもそもそういう国際的な行事は中止にしたほうがいい、ヨーロッパはあまりに呑気すぎるっていうんだ。いまにフランスでも流行するかもしれないから、いつでも台北に帰れる準備をしておけって言ってるよ」
ぼくの表情に失望の色でも浮かんでいたのか、彼は弁解するように言葉をつづけた。
「台湾って国はSARSを経験しているからね。あのときも中国大陸から病気が入ってきて、犠牲者がずいぶん出たんだ。優秀な若い医者も死んで、国の大きな損失になった。だから再選した今の政府も国民も、感染症に対して敏感なんだよ。あのときはヨーロッパには被害がなかったから、その怖さを知らないんだ。日本だってそうだよ」

 家に向かって自転車をこぎながら、ぼくは流れゆく景色を見渡した。散歩者でにぎわうリュクサンブール公園からサンミッシェル大通りを北上すると、偉人たちの魂が眠るパンテオンソルボンヌ大学の歴史ある校舎、大きな市立病院などが次々に見えてくる。通りにもカフェにも活気があふれていて、はるか極東で猛威を振るうウイルスなどは都市伝説の幽霊ほどの存在感もない。この幻影のほうを信じて、目の前に広がるこの盤石たるヨーロッパを疑うなんて、はたして正気なことと言えるのか?
 李さんの心配は杞憂だ。天が崩れてくるのではないかとたった独りでおたおたしていて、それが傍から見てどんなに滑稽か分かっていない。しかしぼくと李さんの仲だ、それに付き合えるだけ付き合おう。彼が台北に帰る4月の終わりに、空港へ向かうタクシーのなかで、いやはやとんだ空騒ぎをしたものだ、やっぱりスイスに行っておけばよかったねと笑って話せればいいのだから。   (続く)

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在りし日のサン・ミッシェル広場。このときなんで写真を撮ったのか思い出せなかったけれど、日付から昨年末の国鉄ストライキの最中だと分かった。人々は夕方4時半から3時間だけ運行するメトロを待っているのだ。なんでも過去になってしまうなあ。