屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

木漏れ日と花

 オーボエ奏者は行儀よく、カラオケおじさんのダンサブルな曲が終わるのを10歩離れて待っていた。曲がアウトロに差し掛かり、おじさんが次のナンバーに移るべく機材の上にしゃがみ込んだ瞬間、オーボエはここぞとばかり大股でおじさんに歩み寄る。
(この記事は直近のふたつの記事の続きです。少し長くなりますが、こちらからどうぞ→マルシェへ下る道 - 屋根裏(隔離生活)通信
声をかけられたおじさんは腰を上げ、オーボエと顔を突き合わせて何か言葉の応酬を始めた。ふたりのあいだの身振り手振りはまるで牡丹の開花のようにみるみる大きく広がってゆき、そしてオーボエの肩をすくめる動作をもって急速にしぼんだ。踵を返して相棒のもとへ戻ってゆくオーボエ。その浮かない表情からして、おじさんに軍配が上がったことは明らかだった。ふたりはさっさと楽器を片付けて広場から立ち去ってゆく。

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「ちょっとあなた、邪魔をされたら困りますよ」
「邪魔とはなんだい、おれもおたくらと同じで音楽をやっているんだよ」
「ぼくたちのほうが先にいたでしょう!」
「それはおたくらが知らないだけさね!おれは10年も前からここで歌って踊って稼いでるんだ。おれが先で、あんたたちが後。分かったらほら、新参者はさっさとけえれ!次のナンバーが始まるぞ!」
アテレコをするならおそらくこんな感じだろう。お気の毒だが路上には路上のルールがあるのだ。すぐに身を引いたふたりは潔い。ぼくはこの一連の即興劇に大いに満足したので、そろそろ大通りを引き返して家路につくことにした。ひさびさの市場よ、楽しい出し物の数々をありがとう。来週もまた会いにくるからね。

 木漏れ日の斑点がゆらゆらと揺れる歩道のうえを歩いてゆく。しょっちゅう言われることではあるが、パリで足元を見ずに歩くのは少々危険だ。なぜかというに犬の落とし物が多いから。それとは別に最近になって目につきはじめた人間の落し物もある。それはマスクと手袋だ。

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ロックダウンの真っ最中からこの問題はSNSで度々シェアされていた。スーパーで買い物を終えた人々が、カートの中や帰り道に使ったものを遺棄してゆくという。「このパンデミックから何ひとつ学んでいない」「人間こそ地球を脅かす最凶のウイルスだ!」義憤に満ちたコメントがたくさん付くのがせめてもの救いではあるけれど、ご丁寧にもこうして二点セットで打ち捨てられているのを目の当たりにすると、さすがに心がちょっと暗くなる。どうしてこうも紋切り型な愚かな行為ができるのだろう? 捨てるにしたって、例えば手袋に空気を吹き込んで人形みたいに膨らませてみるとか、それをマスクのブランコにちょこんと座らせて木の枝に引っかけてみるとか、もっと可愛げのあるやり方も探せばたくさんあるはずだ。どうしてこうも無趣味で粗暴な捨て方ばかりが流行るのか……と、考えたけれどこれは当たり前だ。ウイルスを家に持ち込みたくないからみんな道端に捨てていくのだ。べたべた触って変な工作をする人間が芸術家のほかにいるものか。

 花屋の店先は行きに通りかかったときよりさらに鮮やかになっていた。春色の花の大きなブーケが日当たりのよい最前列に、まだ白い咢をいっぱいにつけたアジサイの鉢植えは軒下に並ぶ。入口付近には「ご入店はおひとりで」という旨のプレートが立っている。他の店のよりデザインが洒落ていて、花とのあいだに不協和音を感じさせない。きっと営業再開のめども立たないうちから、今日のような日を迎えるために準備をはじめていたのだろう。

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店内にはすでに3、4人のお客が列を作っていて、連れ合いたちは店の外で会計が済むのを待っていた。奥にあるカウンターの向こうで忙しく働く人がいる。ちょうど牡丹の蕾のブーケを包装しているその人は、あの日の女性店員だ。おもちゃ屋のライオン君と同様、口元をマスクで覆っているから、笑っているのかどうかは見えない。けれどもきっとそうだろう。悲しい顔や声を震わせるようなできごとは、もう過ぎてしまったのだから。

なんだか心が満たされて、列に並んで牡丹を買う気もなくなった。花屋をそのまま通り過ぎて帰り道をたどる。街路樹の根元でカモミールの白い小さな花が揺れている。どこからか運ばれてきたこぼれ種が、都会の真ん中でこんなにたくさん花を付けたのだ。そのうちのほんのひと茎を摘み取って、水色のシャツの一番上のボタンホールに差し込んだ。そよ風が吹くたび芳香が鼻先をくすぐってくれる。
 こうして再び生気の宿った大通りを歩いてゆく。もうことさらに花束の色彩を見せつけながら行くこともない、木漏れ日のもとで人々が笑うふつうの街にパリは戻った。だからぼくも少し気を許し、身の丈に合ったささやかな花を伴侶に選んで、内緒話みたいな香りを秘かに喜びながらゆく。      (おわり)

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(信じがたいことに、ぼくの書く長い文章を読んでくださっている方がいるようです。ありがとう、とても励みになっています。
あ、誰かが最後まで読んでくれたんだ!と分かってとても嬉しいので、よかったら下の『海外ブログ』のボタンをクリックしてくださいね!)

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市場の寸劇

 市場の正面に柵が敷かれて、以前のようにふらりと勝手に立ち入れないようになっている。警備員が人数を加減しながら中に通しているらしい。ぼくの前にはすでに30人ほどの買い物客が行列を作っていた。さいわい皆マスクをしている。ロックダウンのはじめごろに散々危険と騒がれたせいか、それとも中高年の客が多いからか、ここにくるまでに見た人たちとは意識がずいぶん違うみたいだ。
(この記事は前回のものの続きです。よろしければまずこちらをどうぞ→マルシェへ下る道 - 屋根裏(隔離生活)通信

 その急ごしらえの入り口のそばで、白髪交じりの男がふたり楽器のチューニングをしていた。ひとりはガットギター、もうひとりはオーボエ。いずれもしわの刻まれた褐色の肌をしていて、くたびれたツイード上着といいぼろぼろの譜面といい、絵に描いたような流しの楽士だ。ここで見るのは初めてだから、決まりの場所が封鎖されて演奏ができなくなったのかもしれない。そんな観察をしているあいだにぼくの入場の番が来た。アルコールジェルを掌に受け取り、久々の市場に足を踏み入れる。

 いちばんに気が付いたのは通路が広くなっていることだ。以前は広場を貫くように3本の道が伸びていて、それぞれの道の両側に店が軒を連ねていたのに、今朝はそれが左右の2本だけになっている。これまでは他人と肩を擦り寄せ合わせながら、前の人の踵を踏まぬよう小股でちょこちょこ歩くのが普通だったから、客にとってはずいぶん買い物がしやすくなる。反対に不便になった点は、客が品物に手を触れられなくなったこと。市場の野菜や果物は量り売りが基本で、望む量を自分で袋に取って店員に計量してもらうのが一般的だった。しかし今ではお店の人に「あれをとって、これをとって」といちいち頼まなければならず、お互いにちょっと面倒くさい。
 面白いのが、これは規則なのか自発的なのか分からないけれど、ほとんどの店がスタンドの骨組みの支柱のあいだにラップフィルムを張っていることだ。この即席のバリアーを側面にまで張り巡らせた店もあって、中はさぞかし蒸し暑いだろうと気の毒だった。とはいえよく見まわしてみればバリアーに対する店の態度はまちまちらしく、煩わしさに耐えかねてついついフィルムをたくし上げてしまったような店や、ちっとも乗り気でないけれど世間体のために仕方なく、と言わんばかりの店も目についた。そういう店ではフィルムはわずかに5センチほどの幅になっていて、上も下もがらがらの隙だらけ。なんとなく、肥満の人が横に引っ張って無理やり履いたパンツを思わせた。

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 それにしても、野菜も果物も値段が高い。正確に言えば安いものが少ない。物流がまだ安定せず、安価な外国産野菜が以前のように豊富に揃っていないのだ。そりゃあもちろん地産地消に越したことはないけれど、貧乏人は手を伸ばすのを躊躇してしまう。遠巻きに立って値札を盗み見していると、若い売り子の元気な声がぼくに向かって飛んできた。
「ハロー!もっと近くで見ていきなよ。兄さん中国から来たのかい、ニイハオ」
「ニイハオ。残念、日本からだよ」
「ああそうか。じゃあ、コンニチハ!」
「おお、やるねえ。ところできみ、ぼくに英語で話しているけど、たぶん近ごろ観光客ってあまりいないんじゃないかな」
ぼくは彼には見覚えがある。観光客も多く訪れるこの市場で、何か国語もの言葉を駆使して客の気を引く努力家だ。しかしその手にあまりに慣れてしまったせいで、激変した環境にまだ順応しきれていない様子だ。彼は複雑な笑みを浮かべて、言語をフランス語に切り替えた。
「さあ何を買っていく?」
「じゃあアプリコットを少しだけ」
「すこしだけ、ね。これくらい?」
「ちょっと多いよ、その半分でいい」
彼は三分の一くらいを袋から売り場に戻して、残りをさっさと秤に乗せてしまう。
「2キロも買ってもしょうがないんだけどな」
ぼくはバリアーの上に手を回し、3ユーロを彼に手渡した。どうもこの市場の新システム、油断をするとちょっと食費がかさんでしまいそうだ。

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統計があるか知らないが、市場の利用者はやはり中高年が主という気がする。

 目の前にふいに紙切れが差し出され、ぼくはまたしても足を止めた。
「ボンジュール、ジューン・オム(青年)。ちょっとお話しませんか」小柄な中年男の気弱そうな瞳が眼鏡の奥からぼくを見上げている。「今回のこの甚大な被害、あなたはどう思います?」
言葉に詰まって、ぼくは無意識に紙を手に取る。それは白黒の機関誌で、太字でこういう見出しが付いている――『パンデミックと資本主義経済 解決のカギは革命と真の社会主義』。はたして革命が感染症をどう治すのか気になるところではあったけれど、面と向かって彼に聞くのは挑戦的で失礼な気がした。
「ありがとう、うちでゆっくり読みますね」そう言って立ち去ろうとすると、
「ちょっと、それは有料ですよ!1部1ユーロ、ちなみに5ユーロを納めてくれれば今度の集会にも出られます。打倒マクロンの定例会でね、主に青年と労働者の……」

眼鏡の奥の彼の瞳がにわかに熱を帯びてきた。ぼくは彼に1ユーロを渡して、そそくさとその場を後にする。

 生花を扱うスタンドにはまん丸の蕾を付けた牡丹がたくさん積まれていた。開花の季節になんとか間に合って、花の生産者も花自身もほっと胸を撫で下ろしていることだろう。値段は一束12ユーロ。去年はたしか8ユーロで買えたはずだ。ぼくは少しだけ迷ったあとで、市場の出入口に向かって歩きだす。市場の価格でこんなに高いなら、帰り道にあの花屋で買ってもそんなに値段は変わらないはずだ。

 市場の外に出ると、さっきの音楽家たちが演奏している最中だった。その技術も醸し出す情感も、さすがに見た目がくたびれているだけのことはある。ポケットの中に残った小銭をオーボエ・ケースに落とし入れたところで、ぼくの背後からスピーカーで増幅された歌謡曲のイントロが流れ出した。振り向けば、ああ、いつもここにいたカラオケおじさんだ。彼もどこかで苦しい2か月を耐え抜いて、自分の居場所に戻ってきたのだな。
おじさんはいつもしていたように、軽いステップを踏みながらマイク片手に歌いはじめた。スピーカーを積んだキャリーカートに投げ銭受けの紙コップがくっついている。新参者のふたりの楽師は顔をしかめながらも自分たちの音楽に徹していたが、一曲を弾き終えるや否や、オーボエ吹きが楽器を手にしたままおじさんのもとに歩み寄ってゆく。ぼくは両者から等距離を置いて事の成り行きを見守っている、いま人知れず幕を上げた寸劇のたったひとりの観客だ。
固唾を飲んでいるかと言えばそうでもない。むしろ喉は渇ききっている。無人と化した街のなかで自分が何に飢えていたのか、それをはっきりとぼくは理解した。こういう他人の人生劇場を眺めるための末席が、どこに行っても見当たらなかったのだ。

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マルシェへ下る道

 ロックダウンが解除されてから初めての日曜がやってきた。水色の朝の空を見上げながら、毛布にくるまって2時間あまりを無為に過ごしたところで、そうだ市場に行かなくちゃと思い出した。日曜朝の市場での買い出し。パリに来てから何年間も従ってきた習慣なのに、たった2か月で忘れるのだから時間というのは恐ろしい。
ロックダウンのごく初めのうち、野外市場はスーパーマーケットなどと並んで営業を認められていた。しかし衛生管理が難しいことからまもなく閉鎖され、それ以降はぼくも食糧を専らスーパーで買うようになっていた。その市場がすでに眠りから覚め、今日もまたあの広場に立っているのだ。これは今すぐ出かけていって、この健康的な習慣を取り戻さなきゃ。

 空のリュックに野菜を詰める小袋と財布を放り込み、さっそく屋根裏部屋を出た。自転車でコロナピストを飛ばしてゆくのもいいけれど、今日は歩いてゆくことにしよう。歩きのほうが街のようすがよく分かるし、なによりその市場までの道のりは、ロックダウンの執行前にぼくが最後に歩いた道なのだ。フランス全土の商業施設が封鎖された3月15日の朝(ウイルスと花 (上) - 屋根裏(隔離生活)通信)、ぼくは市場に向かう道すがら違法に店を開けている花屋を見つけ、思わず花をたくさん買いこんでそのまま自宅に引き返した。チューリップがリュックのなかを独占してしまって、それ以上ものを入れる隙間がなかったからだ。あの道をもういちど徒歩で辿ることは、ぼくにとって2か月にわたった隔離生活のまとめを意味するような気がした。始めと終わりとをくっつけて、きれいな丸を描いてみたいのだ。

 

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 リュックとマスクを装備して大通りに降り立つ。車道を通る自動車もない、静かで穏やかな日曜の街。夜の名残りの涼しい空気を昇りかけの陽がじわじわと温めている。頭上には雲ひとつなく、記憶のなかのあの日の陰鬱な曇り空とは似ても似つかない。あのとき外はまだ肌寒く、ぼくは綿入りのアウトドア用ジャケットを着てこの道にいた。今朝は水色のシャツ一枚だ。例年ならばいくつもの段階を経てこの装いに至るのに、今年のぼくらはそれを一跨ぎにせざるを得なかった。
 モノクロ映画のワンシーンみたいに見えた街並みも、今朝はずいぶんと彩りがよみがえって見える。閉まったままの店はいまだに多いのに、日差しひとつが景色をこうも変えるのか。それともそれを見るぼくの心境があの日と今日とでそれほど違うのか。

 はじめに目にした営業中の店はおもちゃ屋さんだった。入口のガラス戸の奥には何か人気商品の箱が山積みになっていて、その脇でスーパーマン等身大フィギュアが大胸筋を見せつけている。しかしそれらを遮るように、ウインドウにはA4サイズの張り紙が連なっており、そこに描かれたマスコットキャラクターのライオンがプラカードを手にこっちを見ている――『店内ではマスクの着用を義務化しております』。その隣には大人向けに、なぜマスクが必要か、それがどれほど感染予防に効果的かを説明する紙も張ってある。ライオン君は多分いつも通りにへらへら笑っているのだろうが、今日はマスクで口元が隠れているものだから、つぶらな瞳に変な切実さが宿ってしまっている。

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King jouet(おもちゃの王様)というフランスの玩具小売チェーン。ハローマックの3歳年下で、マスコットキャラはライオン。トイザらスはフランスでも見かける。ほんのちょっと心配している。

 服屋も靴屋も下着屋も、ショウウインドウに似たり寄ったりのメッセージを貼り出していた。『マスクの着用を強くお勧めします』『アルコールジェルをご利用ください』『1メートルの距離を保って』『床の目印をはみ出さないで』『当店の収容可能人数は23名です』『10名です』『2名です』…… なんて不思議な光景だろう。ショウウインドウとは文字通り、商品が人を誘惑する窓だ。そこには徹底的に明るく優雅な夢の世界が築かれて、世知辛い現実はせいぜい隅っこに、消え入りそうに小さな数字で価格として記されるのみである。それが今では感染症という胡麻化しようのない現実が、誘惑する商品の前列に割り込んで道行く人に睨みを利かせている。このちぐはぐな不協和音にお店の人は気づいているのだろうか。

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 さてその道行く人はといえば、早くもマスクの習慣を放棄しはじめているようだ。通りですれ違う顔の7割方がむき出しで、1割の顔はその邪魔くさい布切れを顎にかろうじて引っかけている。コロナピストを自転車で駆け抜けてゆく人々にいたっては全然着けていないと言っていい。空っぽの車道の真ん中を、警官を乗せた二頭の馬がぽっくりぽっくり並んで歩いてくる。背の上で揺れながら談笑する口元はとても風通しがよさそうだ。誰かが吹く気だるげな口笛がひづめの音と重なって、日の照り返すアスファルト上にだらしなく反響してゆく。きみたちみんな、ライオン君のプラカードを読まなかったのかい? あの切実な目を見なかったのかい?

 あの日の花屋の前に差し掛かる。開店準備の真っ最中というふうだった。店内に人の姿はないが、その奥のドアの裏側で人が動いている音がする。店先に並ぶ色とりどりの花々はあの日のように街の景色から浮き立っては見えない。ほら、何もかももう元通り。泣くことなんてなかったね。ミモザの季節の終わりから牡丹の季節のはじまりまで、今年は一跨ぎすることになってしまったけれど。ぼくはそのまま歩みを進めた。

 行く手の景色がぱっと開けて、市場が立つ広場に着いた。街路樹に飾られた縦長の敷地に百を超える店が軒を連ねる、ここはパリ最大のマルシェのひとつだ。商人たちの威勢のいい呼び声がそこかしこから飛んできて、果物野菜の目の覚める色彩、海産物の目を見張る異形、そういうものが一年中あふれかえっている市場。ちょっと浮気もしたけれど、やっぱりぼくはスーパーよりも野性味あふれる市場のほうがずっと好きだ。またきみに会えてとても嬉しいよ……

 ところが2か月ぶりに目にしたマルシェは、「変わらないね」と声をかけるにはやや無理のある姿をしていた。       (つづく)

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ステイホームはツイートを変える

 こんにちは。いつも当ブログを覗いてくださってありがとうございます。皆様がくださった反応のおかげで、長きに及んだ隔離生活を発狂せずに乗り切ることができました。この場を借りて改めてお礼を申し上げます。
とはいえこのブログ、「屋根裏(隔離生活)通信」と銘打ったにも関わらず、発信するのは日常の四方山ごとばかり。これではただの屋根裏ひみつダイアリーだ、何か有用な情報のひとつも提供せねばと常々考えておりました。

そこで今回は一念発起して、日本では未だいかなるメディアも取り上げていない特ダネをお届けしたいと思います。スペインのとある研究チームの専門家たちが成し遂げた新発見をベルギーの報道機関がいち早く記事にまとめたものです。気になるその見出しはというと、





『コンフィヌマン(ロックダウン)が小鳥のさえずる時間帯を変えた』






 コンフィヌマンが、小鳥の、さえずる、時間帯を変えた!




……それでは、記事の中身を見てゆきましょう。



「コンフィヌマンが始まってから、街なかに響く小鳥の声を耳にした人も多いだろう。カタルーニャ鳥類研究所の研究により、鳥たちの行動様式の変化がこのたび初めて実証された。同研究所は都市部の小鳥が以前より早い時間にさえずり始めることを確認したのだ」


ロックダウン下のパリで小鳥の声が聞かれるようになったことについては、このブログでも何度か触れてきました。ヒトの出す生活音が消えたのだから、そのぶん他の音が目立つのは当たり前じゃないの? そんなふうにも思えるのですが、理由は他にもあるというのです。

「他の都市と同様、バルセロナにおいて鳥たちは長らく通勤時間帯に人間が発する音に適応して暮らしてきた。彼らは統計上、田舎暮らしの同種の鳥に比べて遅い時間にさえずり始める。ところがパンデミックの発生によりヒトの活動にともなう騒音が減少して以来、彼らは一日の始まりの数時間を歌に費やすようになった」

なんとまあ、つまり鳥たちが朝活を始めたと! この事実は以下のような方法で明らかにされたといいます。

「学会は都市に生息する鳥16種を選び出し、今年の3月15日から4月13日までその行動を記録した。そして同種の鳥の過去の行動記録データとの比較を行った。過去のデータは都市に住む鳥と田舎に住む鳥の両方について、10年間にわたり同じ季節に採取されたものだ」

 

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その結果をまとめたものが上の図です。
縦軸が正午の値を基準とした鳥のさえずりの増減を、横軸が一日の時間の流れを示します。オレンジ色の帯は過去10年の都会の鳥のさえずりの記録、青い帯は田舎の鳥のそれです。そして赤い帯が、コンフィヌマンの1か月間で記録された都会の鳥のさえずりを表します。こうして見るとなるほど確かに、かつて朝には鳴かなかった都会の鳥たちが、今年に限っては日の出前からしきりにさえずっているではないですか!その曲線は田舎の鳥のそれとほぼ重なるかたちで推移しています。

「『都会で暮らす鳥たちは、平時はあまり朝からさえずらないようです。まるで人間が通勤で起こす騒音と競い合うのを避けるかのように。人間の生活音が鳥たちの歌の妨げになることはすでに知られていましたが、鳥たちはその障害を前にして、さえずる習性に修正を加えていたのです。ですから彼らは今回新たに訪れた静けさに適応しなおしたと言えるでしょう』」鳥類学者のこのような解説で記事は締めくくられています。

 スペインでロックダウンが始まったのは3月14日のこと。つまり鳥たちは環境の変化を即座に感知し、その行動を変化させたことが分かります。変化というより、本能として持ち合わせていた生活リズムを取り戻したというべきかもしれません。

今ではEUの多くの国でロックダウンが解除され、ヒトの騒音はふたたび朝をじわじわと侵食しています。鳥にとってもヒトにとってもストレスのない静かな暮らしがいつか実現できたらいいですね!
                  ・

 さて、ここからは余談なのですが、ぼくはこの記事を読んで日本のTwitterにまつわる話題を思い出しました。「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグ付きのツイートが何百万件と投稿され、なかでも芸能人の参加が大きな注目を集めたというものです。Tweetとはもともと小鳥のさえずりのことだから、記事とイメージが重なったというわけです。
 ぼくが気になったのは、俳優や歌手が政治的発言をしたことについて「分かりもしない政治の話題に首を突っ込むな」とか「コロナで仕事が減ったからってSNSで目立とうとするな」といった批判が相次いだという点です。彼らももちろん日本という国の主権者なのだし、たくさん納税しているのだろうし、政治を語ってやましい理由はひとつもありません。問題があるとすれば、それはむしろ「芸能人の政治的発言がここまでタブー視されている」ことではないでしょうか?

 ぼくはこの原因の一端が日本のコマーシャル文化にあるのではないかと思います。企業のCMにミュージシャンの新曲がタイアップされたり、人気俳優が出演するのは日本ではとても一般的ですが、世界的に見れば珍しいことです。たとえば適当なフランス人にトヨタがかつて制作したドラえもんの実写版CMを見せたとしましょう。彼らはそこに全身真っ青で首に鈴をつけたジャン・レノの姿を見出し、大きなショックを受けるのです。これは別にドラえもんの再現度が低いからではなくて、文化人である俳優がお金と引き換えに企業や商品の広告塔を務めるということが、彼らの国では一般的でないからです。

それに対して日本の芸能人にとってCMは重要な収入源であり、企業は起用するタレントに特定の思想色が伴うことを嫌います。CMのみならずバラエティ番組などでも敬遠されることでしょう。そうした背景もあって、日本の芸能スターたちは政治的に無色透明であること、鳴かない鳥であることを暗に望まれてきたように思うのです。
 
 そう考えると、「コロナで仕事が減ったから…」という批判は案外的を射ているのかもしれません。芸能を含む社会の営みが停滞したことで束の間しがらみから解放され、その人が生来ごく当たり前に持っていた一個人としての声がふたたび表に現れた、というポジティブな解釈です。ちょうど都会の鳥たちが朝のさえずりを取り戻したのと同じことが、人間にも起きたのなら素敵じゃありませんか!

「影響力のある人間が軽はずみな発言をするべきではない」という批判はたしかに頷ける部分もありますが、今回の改正案に関しては反対を唱えたところで誰かの権利が脅かされるものではなく、その声が社会に悪影響を及ぼすとも想像できません。それよりも影響力のある人が声を上げることで、問題に対する認知が広がり、ひいては専門家の見解に社会の関心が集まるというポジティブな効果のほうが大きかったのではないでしょうか。
感染症にせよ検察庁法にせよ都会の鳥のさえずりにせよ、人間社会にはあらゆる分野を網羅する専門家が生きていて、彼らはその知識と日々の研究の成果を世間に還元する機会を待っています。けれども世間のほうから耳を傾けなければ、その声はとても通りにくいものです。
ぼくが今回カタルーニャ鳥類研究所の大発見に触れることができたのも、都会の鳥たちがしきりにさえずってくれたおかげです。さえずる鳥が現れなければ、彼らが過去10年にわたり収集してきたデータも生きなかったかもしれません。

キジも鳴かずば撃たれまい。
されど、小鳥のくちばし縛るべからず。

余談のほうがずっと長くなってしまいましたが、ステイホームのさなかに生まれたこの新しい「さえずり」の習慣が、今後も途絶えなければいいなと思っています。

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在りし日のパリの小鳥たち。今ごろどこで何しているかな。

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ジャズとペダルとノートルダム (下)

 自転車を降りて転がしながら河岸へと下る階段に近付く。久方ぶりに間近で目にする大聖堂はやはり傷跡が痛ましかった。蜘蛛の巣のように張り巡らされた鉄骨の足場といい、あちこちでむき出しになっていて、聖堂のくすんだ石の色から変に浮いている生木の補強材といい。けれどもこの日、屋根のなくなった屋上部分には作業員たちの姿があって、よく見れば傍らにそびえ立つクレーンもゆっくり動いているようだった。ロックダウンの解除と同時に工事も再始動したらしい。
 川上から吹き上げる風に誘われて、マロニエ並木の白い綿毛が枝を離れて宙に舞い上がる。幾千の小さな妖精たちがじゃれ合いながら工事の再開を祝っているみたいだ。新緑に囲まれた聖堂の姿は痛ましいけれど、悲しげではない。冬のあいだ裸の木々の枝の向こうにぼうっと立っていたときなど、まるで白黒の銅版画みたいに見る者の胸をえぐったものだが。

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対岸から見た大聖堂。右の写真の手前にあるのはアンチ現職市長のポスター。嫌いな人も結構いる。

 自転車を持ち上げて河岸の遊歩道に下りた。まばらな散歩者たちもみな、クレーンに付き添われてリハビリ中のノートルダムに優しい視線を投げかけている。このところずっと姿を見せなかった輸送船が通り過ぎてゆくけれど、その足取りはのんびりしていて川の平穏を乱さない。自転車を押しながら少し歩いて、去年のあの日ぼくがいたポイントにたどり着いた。そしてあの一夜の独特な雰囲気を思い出す。

 日暮れ時の河岸は火事を眺める人でいっぱいだった。傍から見れば物見遊山の野次馬に過ぎなかっただろう。けれどもこの野次馬たちは不思議なことに、やたらと写真を撮りまくったり大声で騒いだり、見物がてらワインボトルの栓を抜いたりはしなかったのだ。みな一様に言葉少なで、肩を抱き合ったり手を握り合ったりしながら焼け落ちる屋根をじっと見ていた。今どき信心深い人などフランスにもそういないのに、刻々と黄昏れてゆく川辺には祈りにも似たムードが満ちていた。ぼくは片隅でその様子を静かにスケッチしていたのだが、自分がこの場でいちばんの不謹慎者だと罪悪感を抱くほどだった。尖塔のひとつにくすぶっていた最後の火が消されたとき、時間は早朝の3時を過ぎていた。敬虔なカトリック信者のあるグループは、ついに最後まで聖堂に向かって讃美歌を捧げぬいた。途中で近所の家から「いい加減にしろ!」という怒鳴り声が降ってきたりもしたが、結局さじを投げたのはその住民のほうだった。

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 あれからもう1年経ったのだな。あのときは世界じゅうの人々がかけがえのない遺産の喪失を悲しんで、何が起こるか分からないものだと口々に言い合った。パリ市民は自分が歴史の目撃者になったことに驚き、観光客はその痕跡を一目見るべく立ち入り禁止のフェンスの前に人だかりを作るようになった。しかし1年が過ぎた今、それらの誰もが否応なしに、人類史上例のない大変動の当事者に任命されている。考えてみれば本当に不思議だ。取るに足らないこのぼくでさえ、未知に向かって突入してゆくヒトの歴史の最前線を担っているのだから。

 最後の火が消えるのを見守ったあの場所に行ってみることにした。ノートルダムのあるシテ島に隣り合って浮かぶ姉妹島、サン・ルイ島の末端だ。ふたつの島は短い橋で繋がれていて、大聖堂はそのすぐ先で背中を向けて建っている。背中のほうには縦長のステンドグラスがいくつも並んでいたから、あの日はその窓枠の奥で火だるまの屋根が崩れ落ちてゆく瞬間が垣間見えてしまった。耐えきれずに嗚咽を漏らす人もいた。

いまでは窓枠には包帯のような生成色の補強が施されていて、それが空と川面の水色に映える明るい挿し色となっていた。あの凄惨な過去を聖堂自身が忘れ始めているようにも見える。これから郊外に遊びに行くのか、路肩の車に子ども用の自転車を積み込んでいる男がいる。ヘルメットをかぶった少年が待ち切れないといった様子でそれを待っている。カーラジオからはウッドベースの軽快な音が漏れて――と思いきや、どうやらこれは生演奏らしい。道のもう少し先にある、ふたつの島を結ぶ橋の上から聞こえてくるのだ。

 ステップを踏むようなべースラインに、ジャズギターの洒落たフレーズが絡みつく。その音色がだんだんクリアに聞こえてくると、橋の上の小さなジャズフェスティバルが姿を現した。
 ひとりの男がウッドベースの弦をはじきながらマイクに向かって歌っている。その傍らではギタリストが優しい笑みをたたえながら、クリーム色のギターで歌に陽気な彩りを添える。島の住民らしき人々は少し遠巻きに集って、音楽に合わせて体を揺らしたり、子どもの手を取って踊ったりしている。曲目はルイ・アームストロングの『君微笑めば(when you're smiling)』だ。

『きみが微笑めば、きみが微笑めば、
 世界のすべてがともに微笑む。
 きみが笑えば、きみが笑えば、
 太陽が空に昇り輝く。

 だけどきみが泣けば雨が降る、
 ため息をやめて幸せになろう。
 だってきみが微笑めば… そう、
 世界のすべてが微笑むだろう、
 この大きくて素晴らしい世界が。

 きみが微笑めば、この広い広い世界のすべてが、

 きみと一緒に微笑むんだよ…』


"When you're smiling" 路上演奏


曲が終わって拍手が鳴りやむやいなや、歌手はマイクを通して一言、
「キープ・ディスタンス!」
場には和やかな笑いが起こった。彼は英語で言葉を続ける。
「音楽を楽しんでくれて嬉しいけど、このことは忘れないでくれ。ええと、フランス語でなんていうんだったかな、『バリエール…ディスタンス』?」
「『ジェスト・バリエール(防疫行動)』!」誰かが助け舟を出す。
「そうそう、それだ!そいつを守って楽しんでおくれ」

 そのやりとりもまた新鮮で面白かった。なぜならこういう路上ミュージシャンは普段は主に観光客を当てにしているもので、地元民のみを相手に演奏するなんて初めてかもしれないからだ。地元の人だって以前は彼らを気にも留めずに、目の前を素通りしていたことだろう。同じ街角でずっとすれ違っていた人々がいま言葉を交わしたのだ。
 ぼくは橋の欄干に自転車を寄せて、しばらくのあいだその音楽を聴いていた。彼らが奏でる楽器のボディも、穏やかな川面も、ノートルダムの包帯さえも、昇りゆく太陽をいっぱいに受けてきらきらと輝いていた。「それはきみが微笑むからだよ」とその歌は言う。ぼくは人々の天真爛漫なステップを後ろからそっと眺めながら、目の前の「きみ」たちの存在に心強さを感じていた。この人たちと、これから世界を再建してゆくのだな。        (おわり)

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ジャズとペダルとノートルダム (上)

 前回の日記では書ききれなかった良い報告がふたつある。

ひとつめは老齢のモデル、ロディオンの無事が確認されたこと。夜になってから折り返し電話がかかってきて、ぼくが気をもんでいたことに大層驚いたようだった。呑気な声で彼が言うには、「どうしてそんな心配をするんだね。わたしは東洋由来の健康法をやっていると言ったじゃないか。いいかい、断食、瞑想、それから良い水を適量飲むこと。これだけで人は病気なんかには…」彼は本当に仙人の域に片足を突っ込んでいるのかもしれない。
 ふたつめは、夜8時の窓からの拍手がその日もかすかに聞かれたこと。現場で戦う医療従事者に敬意を表して始まったこの習慣は、5月に入ったころにはほとんど世間から忘れられてしまった。ぼくの窓から見える範囲でも続ける人はわずか2、3人にまで減っていたから、これはロックダウンの解除と同時に絶滅しちゃうかなと思っていたのだが、8時の教会の鐘の音とともに彼らは変わらず窓辺に姿を現した。いつもお父さんと一緒に出てくる5歳ぐらいの男の子が、遠くの屋根から顔を出すぼくを見つけて、嬉しそうにめいっぱい手を振ってきた。こちらも窓から身を乗り出して千切れんばかりに手を振った。フランスではまだ2000人もの重症患者が集中治療を受けている。過去にしてしまうにはまだちょっと早いように思うのだ。

                  ・


 明くる日の朝、ぼくは久々に自分の自転車を倉庫から引っ張り出した。李さん(ある老画家の脱出劇 (一) - 屋根裏(隔離生活)通信)の留守中にアトリエに届いた郵便物を回収しに行くためだ。空は気持ちよく晴れていて、2か月ぶりのサイクリングに持ってこいの暖かさだった。彼のアトリエまでは15分ほどの道のりで、セーヌ川を渡ってからサンミッシェル大通りの緩やかな坂を南に昇ってゆく。

 外に出ると、通勤時間帯のわりには自動車が少ない。職場への復帰がまだ本格化していないせいもあるけれど、じつはパリ市がロックダウン解除を契機に車の路線を大きく削り、代わりに自転車専用路線をうんと増幅したのだ。「自転車こそソーシャル・ディスタンスを保つのに最適な移動手段だ」という理屈だが、もともとパリの女性市長は自動車嫌いで有名で、パリをアムステルダムコペンハーゲンのようなエコシティに変えたがっていた。ぼくの窓の下の大通りも一般車両の通行が禁止されて、一晩のうちにサイクリングロードへと変貌を遂げた。これは騒音と排気ガスに長年悩まされてきたぼくには涙が出るほどうれしい変化だ。この通称「コロナピスト(!)」は、パリ市内で全長50kmにも及ぶそうである。

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設営工事中→設営完了→よく見ると、ほら!

 さてそういうわけで、このコロナピストを鼻歌交じりに漕いでゆく。もはや面倒な外出証明書もいらず、橋のうえには警察の検問もない。五月の薫風が街路樹を揺らし、木漏れ日と影がアスファルトの上でワルツを踊っている。ああ自由って素晴らしい。心軽やか身も軽やか、この長い上り坂だってまるで追い風を受けてるみたいにすいすいと……
と、いうわけにはいかなかった。立ち漕ぎで無理やり登り切ったはいいが、いままでにない息切れを覚えて坂のてっぺんで地面につま先をついてしまった。これが単に2か月間の外出制限による体力低下の故なのか、それともあの呼吸苦の夜から本当に肺機能が低下してしまったのか、それは今後の経過を見なければ何とも言えないことだろう。

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サンミッシェル大通り。設営中のこれが噂のコロナピスト!

 李さんのアトリエに到着すると、管理人のカルドーソ夫人が部屋着のまま表に出てきた。半乾きの髪の毛をタオルで抑え、もう片方の手に手紙の束を持っている。なんとも生活感あふれる登場の仕方だが、今朝はなんだかそれさえ尊いものに見えてしまう。なにしろ彼女はロックダウンのあいだcovid-19に感染した娘を自宅で介抱し、その後みずからも同様の症状に苦しめられ、それらの全てを乗り越えたうえで今ぼくの前に立っているのだ。そんじょそこらのお寝坊マダムのタオルドライとはまた違う。強き母にして不屈の人の勝利のタオルドライなのである。

「ほんとに大変でしたねえ。今はもうふたりとも何ともないですか?」
「ええ、娘なんかわたしよりずっと症状が重かったのに、2週間の隔離を終えるなりさっさと仕事に復帰したわ。あなたはどうなの?」
「ぼくも何ともありません」彼女たちを不安にするのも嫌だから、肺の違和感の話はしない。「ポルトガルのご家族も無事ですか?」
「何ともないわ。ポルトガルはこっちより状況がだいぶましだからねえ。それにしたって、このフランスのカタストロフ(壊滅)は一体どういうことなんだろうね、まったく」

彼女の故郷ポルトガルは近隣諸国に比べてcovid-19の人的被害が少なく、メディアでも『ヨーロッパの例外』として取り上げられていた。他国と違ってBCGの予防接種がいまだに義務付けられていることから、BCG有効説を唱える人の論拠のひとつとなっているけれど、そこに疑問符を付けるのがこのフランスの存在だ。じつはこの国でワクチン接種が義務でなくなったのは2007年という最近のことで、これでは重症患者の多さに説明がつかない。
ムッシュー・リーは元気にしてるの?」手紙の束をぼくに手渡しながら管理人さんが尋ねる。
「はい、ときどき台北から電話をくれますよ。この時勢だから今度はいつパリに来られるか分からないけど、あの調子ならあと十年は元気に絵を描けますね」
「それはよかった。台湾からのお土産、今度はマスクをお願いしようかね」
そういって彼女は笑う。ぼくの知る限り、彼女が台湾と中国とを混同しなかったのはこれが初めてのことだった。今回の見事な防疫対策によって台湾は飛躍的に名を挙げたのだ。「タイワンって、ようは中国だろ?」や「タイランド(タイ)の間違いじゃないの?」という台湾人を苛立たせるお決まりのフレーズも、今後は滅多に耳にしなくなるだろう。

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 郵便物をリュックにしまって、ぼくはもと来た道へとハンドルを向ける。帰りはほとんど下り坂だから爽快感も往路とは段違いだ。坂に差し掛かったところでペダルを踏む足を止め、重力に任せてコロナピストを一気に駆け降りる。寝ぼけ眼の街の景色がびゅんびゅん通り過ぎてゆく。

 セーヌ川にかかる橋の手前で赤信号に引っかかった。右手前方にノートルダム大聖堂が見えている。行きの道でも視界には入っていたのだけれど、なんとなく気まずくて目をそらしてしまったシルエット。この聖堂が火事に遭い屋根が焼け落ちてしまったのは昨年の4月15日のことで、当時はその悲劇的な映像に世界中が涙した。

 あれから一年後の同じ日に、この未曽有のパンデミックのさなかで、どれだけの人がそのことを思い出しただろう? その再建についてどれだけの人が意見を交わしただろう? 正直に言えばぼくはすっかり忘れていた。あの日あの夜セーヌのほとりにたたずんで、最後の火の根が消えるところまで固唾を飲んで見守っていたというのにである。

 その大聖堂と、いまばっちりと目が合っている。遠目に見る限り、記念日を忘れたことを恨みに思っている様子はない。青信号に変わったとたんに踏み込もうと身構えていたペダルから足を下ろして、あの日と同じ岸に降りてみることにした。  (つづく)

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朝日を背にするノートルダム大聖堂

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祝福の日 (その夕べ)

 かくしてぼくらはコーヒーを求めて混沌の街をさまよい始めた。
 とはいえ、おいしい一杯にありつける確率はそんなに高いほうともいえない。飲食店はまだテイクアウトでの営業しか許されていないため、カフェはみなシャッターを下ろしたままなのだ。営業許可が出ている商店も、初日における開店率は30パーセント程度に見えた。多くの店は真っ暗なままか、それでなければ営業再開にむけて突貫工事の最中だ。

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園芸用品店とパン屋。

 多くのお店が出入り口の真ん中に仕切りを設け、入退店の動線を作ろうと努力している。パン屋の床には入り口からレジまで等間隔のマーキングが施されていて、ちょっと等身大の双六みたいだ。床屋が意外にも繁盛していないように見えるのは、座席をひとつ飛ばしでしか運用できないせいだろうか。

コンフィヌマンの終わりが予告されたころ、SNSでこういうジョークを見かけた。

「看護師の次は美容師のために拍手をしよう。今度は床屋が溢れかえる番だぞ!」
ぼくも伸び放題の髪の毛をかき上げながら、上手いこと言うなあと感心したものだ。でもそれならいっそ、家から出てきた人々がみんな長髪に髭もじゃのヒッピーになっていたらどうだろう。床屋になどもう行こうともせず、かつての時間に追われる暮らしや矛盾だらけの社会システムを見限って、愛と平和とエコロジーで成る新たな世界の建設に乗り出す6千万のフランス人たち……
ヒッピーは行き過ぎだとしても、実際そんなデコンフィヌマンをぼくは少しだけ夢に見ていた。芋虫が蛹の眠りを経て美しい蝶になるように、人類もまたふたたび外の世界へ出るとき、これまでとは違う未来へのヴィジョンを胸に抱いているのだと。

 しかし現実はいつも味気ない。見たところデコンフィヌマンは羽化というより脱皮に終わった。夢中で葉っぱをかじっていた芋虫がはたと手を止め、身を固くしたと思ったら、殻を脱ぎ捨てて這い出したのは以前とさして変わらない芋虫――そんなイメージが頭をよぎったのは、人気アパレルショップの前に伸びた入店待ちの行列を見てのことである。入口にアルコールジェルのボトルを持ったスタッフが立っていて、先頭の客の手にチュッと出してから少しずつ店内に入れている。

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「なんか気に入らなさそうだね」という友人の指摘に、ぼくはそういうわけでもないけれどと口ごもる。
「服だってもちろん大切だけどさ、なにも初日から行列してまで買うほどの物じゃないような……」
「それじゃ、何買えば納得するのさ」
「たとえばほら、そうだな、園芸用品とか」
「それって単に好みの問題でしょ?」
ひねくれたぼくを容易く言い込めて、彼は軽やかな足取りでスニーカー屋に入ってゆく。人生を楽しむことにおいて彼はいつでも卓越している。蛹のなかでひとり鈍重なブログを書き綴ってきた人間と、インスタグラムのフォロワーを増やした人間との差がここにある。なんとなくそういう気がする。

 案の定、コーヒー探しは難航した。パリの街なかでコーヒーが見つからないなんて夜空から星が消えるようなものだが、実際にそれが二か月間も続いたのだから恐ろしい。戦時中でさえこういうことはなかっただろう。テイクアウトのみで勝負しているピッツェリアがけっこうあったから、ぼくたちもぼくの馴染みの店に行ってみることにした。
 エジプト出身のピザ職人はぼくの顔を見てひどく喜んでくれた。英語とフランス語とイタリア語のごちゃまぜの言葉で、「よく来たな兄弟、元気にしてたかい。友達や日本のご家族も変わりないか」と聞いてくる。去年の夏に似顔絵を描いてあげてから、彼はぼくにとても親切にしてくれるのだ。エスプレッソの代わりに缶ビールを2本もおまけしてくれた。「商売は上手くいってるか」なんて尋ねるまでもなかったから、ぼくらは互いが無事であることを喜び合うにとどめておいた。

 広場にできた陽だまりに座って缶ビールを飲みほしてから、ぼくたちは割にあっさりと別れた。
「それじゃ、また近いうちにね」
「明日からの勤務再開、がんばって。手だけはこまめに洗ってね!」
手洗いへの言及を除けば、そのやりとりは元の世界で慣れ親しんだそれと何ら変わったところがなかった。もしや今日始まった新しい世界って、せいぜいマスクと石鹸と、この新しい挨拶で事足りてしまうものなのか?

 帰り道はもういちどセーヌ川沿いを通った。下りはじめた太陽の光が河岸の景色をレモンイエローに染めている。そのなかに浸りこむように、人々の幸福なシルエットが川のほとりに点々と咲き連なっている。ああ、いいなあ。暖かいなあ。たとえ蝶々の成りそこないの突貫工事の再出発でも、昼間に誰かと外を歩ける。それだけで人間はこんなにも幸せだ。
 岸に腰かけた若者たちのあいだで、ずんぐりとした中年男がプラスチックのカップロゼワインを注いでいた。そうしてカップを太陽めがけて持ち上げて、ひとりで乾杯の仕草をしている。西日に打たれたその横顔には満面の笑みが輝いている。ワインボトルのとなりに横たわる赤と黄色のチューリップの花束。誰かが来るのをここで待っているのかな。たとえ誰も待っていなくても、花束を携えて太陽に向かって乾杯するのに何ら不自然なことはない。今日はそういう祝福の日だ。

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乾杯!

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祝福の日 (その昼のこと)

「元の世界にはもう戻れない」と覚悟を求める者がいる一方で、「日常への回帰」の旗をせわしげに振る者もいる。路地に降り立ったぼくが見たのは両者の主張のせめぎ合いのような街の光景だった。

 昨日までとは比較にならない数の歩行者が大通りを行き交っている。前から後ろから絶えずやってきて、地べたにしゃがみこんで写真を撮る隙がなかなか見つからないほどだ。ああそうだった、この道はブランドショップが立ち並ぶパリの目抜き通りで、本来ならば買い物客や観光客で昼夜を問わず賑わっているはずなのだ。「外出制限が長引くにつれ、街に人の姿が増えた」とぼくは繰り返しここで書いたが、あの程度の人出を多いと感じられたのは、ぼくが元の世界をさっさと忘れてからっぽの道に慣れてしまったからに他ならない。

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 とはいえ、ぼくがもし元の世界から突然ここにワープしてきたら、今度は逆に人の少なさを奇妙に思うことだろう。人々の顔を覆うマスクやゴミの散乱する路上にきっと目を丸くして、ディストピア映画の撮影中かと疑うかもしれない。ミシュラン社のマスコットみたいな防護服を着た女性がふたり、除菌スプレーを手にのしのしと道を歩いてゆく。両手に手袋、足元はブーツイン、頭髪をネットで覆っての完全防備だ。清掃局の職員だろうか? ちょっと尋ねてみたくなったが、マスクに覆われていない口で声をかけるのは憚られた。これから友達とも会うのだし、まずは薬局でマスクを買わなくちゃ。


 薬局内には3、4人の客の姿があって、薬剤師はみなマスクとフェイスシールドで身を固めていた。店の奥へと歩を進めると、そばにいた客がさっと身を引く。どうも不安を与えているなと気付いたが、時すでに遅し、べつの年配の女性客に注意されてしまった。「ちょっとあなた、安全距離を守ってくださいな!マスクもしないで、まったくもう……」
ようやく供給が追いついたらしい不織布のマスク(1枚5ユーロ!)をふたつ買い、すごすごと店を後にする。そして、またしても自分に事実の誤認があったことを反省した。ぼくは「人々が緊張感を失った」とも繰り返し書いたけれど、正確にいえば、緊張感を失った連中しかロックダウン下の街なかをぶらついていなかったのだ。彼女らのような用心深い人々はずっと神経をすり減らしながら暮らしていたのだろうから、風評被害もいいところである。なにはともあれ、これでぼくもやっとマスクを手に入れた。新たな世界の紳士の嗜み。胸元にハンカチーフ、口元にマスク。

 時計は午後3時を回ったところだ。わずかに西に傾いた日差しが頬に心地よい。広場のほうからスケートボードがひっくり返るときの威勢のいい音が聞こえてきたので、ちょっと立ち寄って広場の様子をビデオに撮ってみた。非常と日常、緊張と弛緩が交差した雰囲気が少しでも伝わるだろうか。


レ・アール広場 5月11日


 寄り道が過ぎてしまったから、約束のセーヌ川に駆け足で向かった。ぼくはこっちから、友人はあっちから川沿いに歩いて、そのうちどこかでばったり落ち合おうという大雑把な待ち合わせだ。堤防に沿って並ぶブキニストという路上古本屋がいくつか店を開けていて嬉しかった。彼らの鉄箱が閉ざされたままだと、なんだか列をなす棺桶みたいで憂鬱だから。

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古本たちのデコンフィヌマンと、これから降りる遊歩道。

 午後の光がたっぷり降り注ぐ河岸の遊歩道は、いくつもの再会劇が繰り広げられる長い舞台と化していた。連れだってぶらぶら歩く人々、自転車で駆け抜けてゆく親子、腰を下ろして語り合う仲良しグループや恋人たち。彼らのうちのどれほどが8週間にわたる離別を味わったのかぼくには知る由もないけれど、そこには確かに今日この日にしか生まれようのない祝福のムードが漂っている。抱きしめ合ったり大声で笑ったり、音楽をかけて踊ったりするのとはまた違う、抑えたところからしみ出すような喜びの表れ。誰もが多少おずおずと、親しい人とのあいだに生まれた新たな距離感に戸惑いながら、なおも一緒にいられる幸せを分かち合っている。その様子は初々しくて、なんともいえず愛らしい。

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穏やか。とはいえ、羽目を外すと叱られるようだ。

 ほどなくして、ぼくらはばったり落ち合った。花屋はぼくが思いのほかやつれていないことに安心し、一方でぼくは彼がちっとも太っていないことに驚いた。料理上手で知られる彼は、この2か月のあいだ毎日プロ顔負けの料理を自分のためだけに作っては、写真をインスタグラムに載せていたのだ。レパートリーは手作りピザからカンボジア料理にまで及ぶ。退屈で発狂しないためだと彼は言っていたが、ぼくには彼が隔離生活を満喫しているようにしか見えなかった。
 ぼくらは丸太のベンチに腰を下ろし、取り留めのない話を始めた。ぼくはマスクをしていない彼に合わせて一度は自分のマスクを外したものの、どうにも落ち着かなくなってふたたび着けてしまった。座席をひとりぶん隔てて座っているのに、まだ距離が近いような気がする。むろん感染が怖いのではなく、させてしまうことが怖いのだ。洞察力のするどい花屋はぼくの心情を見破って「神経質だなあ、もう大丈夫だよ」と笑った。ぼくだってもし立場が逆ならきっと同じように笑ったことだろう。

彼がマカロニグラタンの表面に絶妙な焼き色を付けたのと同じ夜、ぼくは呼吸苦を発症し、それが今ふたりの世界の見え方にわずかなズレをもたらしている。こうして並んでおんなじ川を眺めているにもかかわらず、ぼくの視界にだけあのイボだらけの球体の影が映りこんでいるらしいのだ。このヘンテコな影はいつ消えてくれるのだろう? あの日から心なしか減少したように思われる肺活量が元に戻ったときだろうか? そもそも元に戻るのか否か、ここがいつまでもはっきりしないのだ。この肺といい、世界といい……

ぼくはポケットから二つ目のマスクを取り出して、花屋に差し出した。
「これ、あげる。新たな世界の紳士の嗜み!」
「ええ、ありがとう。いくらしたの?」
「いいのいいの。プレゼント」
じつはこのプレゼントは招待状の意味も兼ねている。元の世界の日常は忘れ、ヘンテコな影の跋扈する新たな世界を強く生きよう。さすがの勘のいい彼も、そのメッセージは読み取りそこねたようだった。招待状をポケットに突っ込んで、「ねえ、コーヒーのテイクアウトでも探しに行こうよ」と軽やかな提案を投げかけてきた。   (つづく)

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祝福の日 (その朝のこと)

「フランス語のいかなる辞書にもdéconfinement(デコンフィヌマン)なんて言葉はない。『コンフィヌマンの終わり』のことを言いたいのなら、無闇に新語を作らずそのままfin du confinement(ファン・デュ・コンフィヌマン)と言うべきではないか」――ロックダウンのただ中で生じたこの優先度の低い議論は、この国がもつ偏屈者の学者のような一面をよく象徴している。

(コンフィヌマンについてはこちらをどうぞ→やがて愉しきコンフィヌマン - 屋根裏(隔離生活)通信

 この問に対するある言語学者の見解はこうだ。「どちらの言い方も間違いではありませんが、ニュアンスに若干の違いが生まれます。後者がパンデミック終結による日常の再開を思わせるのに対して、前者はコンフィヌマンの解除から後者の状態に至るまでの通過点といった意味合いです」
 彼の意見が正しいとするなら、きょう5月11日、ぼくらが経験しつつあるのは紛れもないデコンフィヌマンだ。どんな辞書にも歴史の本にも載っていない、フランスが初めて生きる一日。

 その朝、目を覚ますなり見上げた空は灰色の雲に覆われていた。ぼくは再び目を閉じて今日という日をリロードしたくなる。一昨晩の嵐で感じた不吉な予感が、まるでいきなり的中したかのようだった。時刻は8時半。ベッドから這い出すとなんだか肌寒い。天窓を押し開けて外を覗けば、屋根には小雨の降った跡さえ付いている。大通りに車は通っていないが、歩道のうえには地下鉄の駅に向かう人々の姿がまばらに見られた。顔の半分を覆うマスクといい、縮めた肩を覆う暗色のコートといい、ウイルスの脅威のいまだ消えぬなか通勤を再開せざるを得ない彼らの陰鬱な心情をそのまま具現化したみたいだ。

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 食器洗剤で洗った林檎をかじりながら、まあこういうデコンフィヌマンもありかなと考える。この陰湿な天気のもとでは外出する気もそう起きないから、結果として新たな感染の抑制に繋がるだろう。ひねくれもののパリの空よ、喉元過ぎれば熱さを忘れる愚かなぼくらの出鼻をくじいてくれてありがとう。それでなくても、ぼくは呼吸苦を経験して以来、隔離生活から自分を解き放つことにずっと不安を感じてきたのだ。症状が消えてからすでに1か月半も経っていて、もはや他人にうつすリスクはないと言われているけれど、それだって「いま分かっている限りでは」という但し書き付きの情報だ。この新しい人類の難敵は、過去数か月のあいだに幾度ぼくらの想像の域を越えてきたことか分からない。

「でもそんなこと言ってたら、いつまで経っても外に出られないよ。そのまま一生屋根裏部屋に引きこもって暮らすつもりなの?」
花屋の友人がこう痛いところを突いてきたのは昨日のことだ。彼のお店は12日からの営業再開で、思いがけない長期休暇の最終日に散歩でもしようとぼくに電話をくれたのだった。ぼくは少し迷ったあとで、もしも午後お日様が出ていたらセーヌ川のほとりを歩こうと約束した。

 隣の部屋のドアが閉まる音がして、ルイーズの足音が廊下をぱたぱたとせわしなく通り過ぎていく。あれほどウイルスに怯えている彼女も、今朝から職場への復帰を命じられてしまった。オフィス内の人数を減らすために、これからは同僚と二日交代でテレワークをしていくらしい。代われるものならぼくが代わりに仕事に行ってあげたいけれど、代わったところで上司が迷惑するだけだろう。

 ぼくにはぼくで、外出制限が解除され次第取り掛かるべき仕事があった。画家の友人李さん(ある老画家の脱出劇 (一) - 屋根裏(隔離生活)通信)のアトリエに届いた郵便物を回収し、いま彼がいる台北の自宅に転送してあげなければならない。ロックダウン決行があまりに突然だったもので、国際転送の手続きが間に合わなかったのだ。郵便物は建物の管理人さんが保管してくれているはずだから、ぼくは彼女に電話をかけた。

「もしもしマダム・カルドーソ、お久しぶりです。ぼく李さんの友達の…」
「あら久しぶり。あなたパリに残っていたのね? ムッシュー・リーと同じ飛行機で帰ったものかと思っていたわ」
「10平米の屋根裏部屋に閉じ込められていました。そちらはお変わりないですか? 旦那さんも娘さんもお元気で?」
「ええ、今はね」
「『今は』というと?」
「わたしと娘がかかったわ、例のコロナウイルスに」
ぼくはこめかみを急に小突かれたような気がした。
「娘が最初に発症して、一週間後にわたし。あの子、駅前の薬局で働いているでしょ?コンフィヌマンのあいだも出勤してたから、多分あそこから持ち帰ったのよ」
「それで、娘さんは良くなったんですか?」かぶせるように尋ねてしまった。娘さんに会ったことはそう何回もないけれど、いちど自分で撮ったたくさんの写真をぼくに見せてくれたことがある。両親の故郷ポルトガルの自然を素直に切り取ったいい写真だった。
「さいわいね。でも若いあの子のほうが症状が重かったのよ。熱と咳と息苦しさと、言われてる症状はほとんど出たわ。検査で陽性反応が出たけれど自宅療養になって、よくなったところで今度はわたし。でももう二人とも大丈夫、なんたって4月始めのことだから」
ぼくはほっと胸を撫でおろす。と同時に、背中に悪寒が走るのを感じる。
ぼくのもとにだけ来たわけではないのだ、あの透明の怪物は。ぼくらが籠城していたあいだもこの街を執拗にうろつき回り、かつて李さんが恐れたとおり、彼のアトリエの扉の前にまで差し迫って、そして静かに引き返していったのだ。
自分が外れくじを引いたぶん、知人の身には滅多なことが起こるまい。なにかそういう確率論的な油断をぼくの心はしていたようだが、そんなものにはなんの根拠もないことがいま明らかになってしまった。
「ふたりともご無事でほんとによかった。これからも気をつけましょうね。ところで、李さんの郵便物なんですが…」
「いっぱい溜まってるわ。明日でよければ取りにいらっしゃいな」

 管理人さんとの通話を終えると、心がそわそわと落ち着かなくなってきた。ぼくは続けて老齢のモデル、ロディオンに電話をかけてみる。李さんがフランス脱出を決意したことで、彼に頼んでいたポーズの予約をキャンセルせざるを得なくなったとき、彼は気分を損ねるどころか電話の向こうでいかにも愉快そうに笑っていた。おおらかで屈託のない、どこか東洋の仙人を思わせる笑い声だった。
「お生憎さま、あなたのモデルはいま留守です。御用の方はお名前と電話番号を残してください。できるだけ早くお返事しますから」
呑気な声の留守電メッセージのあとで、ぼくは簡単な言葉を残して通話終了ボタンを押した。部屋が一瞬しんと静まる。

 なんだか人に会いたくなってきた。誰かしらと再会して、そのつつがない姿をこの目で確認したいのだ。握手もビズも交わさぬままの、マスクと安全距離を隔てての、憂鬱で不吉な雲の下での再会であっても結構じゃないか。それこそ模範的デコンフィヌマンだ。一方このままうちにいたのでは、それは単なるコンフィヌマン。つまり過去への後退だ。いつしか「ファン・デュ・コンフィヌマン」にたどり着くために、社会は前進しなければならない。
 ふいに部屋のなかが明るくなった。天窓を見上げると水色の空が、分厚い雲を押し分けながら淡い光を空中に撒き散らしている。ぼくはもう一度電話を手に取って、花屋の友人にメッセージを送った。「お日様が出てきたようだから、やっぱり午後は散歩に行こうか」。        (つづく)

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これはその前日の晩、カーネーションのおすそ分け。フランスでは母の日はもう少し先なのだけど、偶然スーパーに売られていた。買い物バッグをこうして廊下に追い出してしまうくらい、隣の姉妹はウイルスを怖がっている。

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激しい雨が降る

 きのうの夜、パリを嵐が通り過ぎた。雷をともなう激しいもので、ニュースの伝えるところでは3週間ぶんの降水量にあたる雨が数時間のうちに降ったという。郊外のいくつかの地域では家屋のなかに至るほどの浸水が起きた。
 屋根を乱打する大粒の雨音をぼくはベッドに寝そべって聴いていた。天窓のガラスのむこうでは稲光が絶え間なく閃き、真っ暗な部屋の壁を青白く点滅させた。

 「不吉だなあ」という独り言が思わず漏れた。それはデコンフィヌマン(ロックダウン解除)を目前に控え、ぼくがつとめて封じ込めていた感情だった。ぼくはスマートフォンに手を伸ばし、先ほど目を通したばかりのニュース記事をもう一度読む。

『ドイツのデコンフィヌマン:憂慮すべき兆候が早くも』
「日常への回帰に打って出たわずか数日後、高リスク地域においてコロナウイルスの再生産数の上昇が確認され…」

 あのドイツでさえこうなのだ。フランスは本当に今の段階で人の動きを解き放っていいのだろうか?

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ルーヴル美術館前の凱旋門。時間は夜8時ごろ。


  嵐がやってくる数時間前。コインランドリーにかけた洗濯物が乾くのを待ちがてら、ぼくは近所を散歩することにした。ちょうど陽が沈みはじめる頃合だったから、すこし西の空が見たくなったのだ。ルーヴル美術館の前庭にあたる広場に差し掛かると、雲の隙間から暖色の光が滲み出しているのが見えた。周囲ではツバメが忙しく飛び回り、芝生すれすれの急降下を繰り返していた。ついついビデオを撮ったけれど、このときはそれを嵐の前兆とまでは考えなかった。単純にこの春最初のツバメに出会ったこと、季節の廻りを実感できたことが嬉しかったのだ。ツバメのほうも例年より伸び伸びと楽しげに見えたのは、ロックダウンの施行から芝生のまわりにテープが張られ、人が立ち入れなくなったおかげかもしれない。

 

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マイヨールの彫刻『夜』。日本の国立西洋美術館にも所蔵されている。

 この日も人出が多かった。自分だってその一人だから偉そうなことは言えないが、もはや健康維持のための運動という体裁さえ繕わない人が大半を占めているように見える。地べたにしゃがんで砂利をいじくる子どもたちをほったらかして、おしゃべりに花を咲かせる大人たち。ひとりの子どもがその手で母親に飛びついた。母親はその子を抱き上げて頬っぺたに… ぼくからは見えなかったけれど、キスはしなかったと願いたい。一時はあれほど一般化していたマスクも着けている人はまばらだった。まるで戦禍が過ぎ去ったかのような穏やかさが夕暮れの街を包みこんでいる。

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 洗濯物を回収して部屋に帰り、夕食の用意を始めたところで最初の遠雷が聞こえた。ほどなくして屋根板をぱたぱたと雨粒が打ち始める。手鍋のなかで生米を研ぎながら、ぼくは昨日の日記に引用した世論調査のことを考えた。あの調査結果が正確なものなら、フランス人の過半数はロックダウンの解除に不安を抱いているはずだ。となれば先ほど目にした彼らは何者だろう。残り3割を占める楽天家グループに属する人々だろうか?
 ここでぼくはあるアイデアを抱いた。さっき外で撮った写真のなかの人々を「ひとりで真面目に運動している人」と「ただぷらぷらしている人」に分けたら、ちょうど7:3くらいの割合になるのではないかというものだ。我ながらばかばかしいなと思いつつ、鍋を火にかけてさっそく取り掛かった。嬉々として写真のなかの人影を追い始めてすぐさま、ぼくは重大な発見をすることになる。

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 立ち入り禁止のテープをかいくぐって芝生に侵入し、仲間とくつろいだりヨガをたしなむ人達の姿。ぼくの驚きはその事実より、ぼくが散歩中に彼らの姿を全く意識しなかったことにある。というのもこのフランスにおいてこの手のルール違反はあまりにありふれていて、虫を追い回すツバメほどにも人々の関心を引かない。だからぼくも無意識のうちに日常の背景の一部として彼らを処理し、目の前を素通りしていたのだ。
 隣国ドイツとは対照的に、規則や規律に頓着しない人がフランスにはたいへん多い。もっと言えば、従わないことをクールだと感じるメンタリティさえないとは言えない。この国民性の違いを語る際によく挙げられるのは横断歩道の赤信号の例で、ドイツにおいては車が来ていないからといってこれを渡れば批難の視線を一身に浴びることになる。しかしここフランスで軽蔑されるのは馬鹿正直に信号が切り替わるのを待っている人のほうなのだ。よくあるステレオタイプと思われるかもしれないが、いずれのパターンも実際に経験したぼくには大いに頷けるものがある。

 先の日記で書いたとおり、デコンフィヌマン後の生活には多くの制限が付いてまわる。おそらく順守されないだろうと思われる点や、もともと建前に過ぎないような規則も多い。たとえば「集会は10人以下で行いましょう」なんて決まり事を、バーやクラブを奪われてしまった孤独な都市生活者たちが念頭に置いてホームパーティを行うだろうか?
 もしも感染が再拡大したらそれはフランスの国民性のせいだ、なんて乱暴なことを言うつもりは勿論ない。もともとこの規制解除は時期尚早で、国の経済を救うために国民を生贄にするようなものだという批判が多いのだ。しかし立ち入り禁止の芝生の真ん中で堂々たる太陽礼賛のポーズを披露するこの臆面のない楽天主義は、少なくとも感染症収束の助けにはならないのではないか。

 スマートフォンのニュースを閉じてぼくは寝てしまうことにした。夕方ツバメを見て喜んでいた人間が、夜になってヨガのポーズに憂鬱を覚えるとは、我ながら本当にばかばかしい。ぼくの胸のなかに隠れていたちっぽけな不安が、雨と雷のド派手な演出を受けて、拡大された不気味な影を壁に投げかけているにすぎない。ただそれだけだと信じたい。

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部屋に飛び込む稲光。

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隔離生活のエピローグ

 自宅療養期間を終えて2週間ぶりに外出をしたら、世間の空気がすっかり変わっていたという話を前回の日記で書いた。
 この現象はパリに限ったものではなく、ちょうど河川敷のつくしのように4月初めの週末から全国で一斉に顔を覗かせたものらしい。メディアはこれを「フランス人の気の緩み」として批判的に取り上げ、専門家が第二波の到来に警鐘を鳴らしたり、医師や看護師の怒りの声が紹介されたりしたものの、けっきょく社会にかつての緊張感を取り戻させるには至らなかった。その後も野外に人の姿はみるみる増えてゆき、がらんどうだったスーパーマーケットも今では客足上々だ。窓から見える大通りにも徐々に車の往来が戻り、ぼくの屋根裏部屋はふたたび都市の騒音に悩まされるようになった。あれほどクリアに響きわたっていた小鳥たちの歌声はふたたび遠くへ追いやられてしまい、一方でぼくの体には目の痒みとくしゃみとが帰ってきた。例年よりまだ軽いとはいえ、アレルギーとはなんて律儀なものだろう。

  あれからブログを放ったらかしてしまって、ぼくが危ぶんだ2週間後の世界でさえ今ではすでに2週間前の過去になっている。日付をさかのぼって日記を書こうか迷ったけれど、今回はやめておくことにした。なぜなら、この気の緩み現象を除いては社会に特筆すべき変化が見られなかったからだ。つまり危惧された第二波らしきものは今日まで確認されておらず、新規陽性者数も死者数も4月を通じてなだらかな減少を続けてきた。そのグラフ上の坂道を転げ落ちるように危機意識を低下させながら、世間はいま来る5月11日に向けてもぞもぞと身支度を進めている。これはフランス政府からロックダウンの解除(ロックダウンを意味するコンフィヌマンに反対の接頭辞déをつけて『デコンフィヌマン』と呼ばれている)が予告されている日だ。

 解放の日はどれほどの馬鹿騒ぎになることだろうと、ぼくは外出制限のあいだよく想像したものだ。しかし意外にも、色めきだった雰囲気は社会に全く漂っていない。これについては主に3つの理由が考えられるので、ここにひとつずつ挙げてみたい。

 第一に、このデコンフィヌマンを時期尚早と考える人がけっこう多いこと。5月6日付の世論調査では、国民のじつに67%が政府のプランに不安を感じているとある。先述した気の緩みとは一見矛盾しているようだが、ようは彼らの心配の種は再開される活動のなかに埋まっているのだ。同じ調査では「通勤電車や幼稚園などでどうやって安全距離を守れというのか」というもっともな声が回答者全体の約9割から挙がっているし、再開される学校に我が子を送り出そうという保護者はわずか3割に留まった。今回のパンデミックの対応において現政権は国民の信頼を大きく損ねた(今も60%が「信用していない」)から、強い疑念が調査結果に現れるのも当然といえば当然だ。余談だが、ロックダウンに至るまで感染予防の役に立たないと政府からアナウンスされていたマスクは、11日から公共交通機関での着用が義務付けられることになった。誤りを認め良いものを取り入れるのは素晴らしいこととはいえ、市民はやはり冷笑をもってその決定を聞き入れた。

 第二の理由として、封鎖の解除が極めて限定的なことが挙げられる。外出が自由になるとはいっても、レストランやバーなどの飲食店、また映画館や劇場やスポーツジムなどの余暇的な施設は営業再開を認められない。つまり派手なお祝いのしようもなければ、以前のような娯楽に溢れた暮らしもすぐには戻ってこないのだ。商業施設は大型のものを除き営業可能ではあるが、感染対策の規定を遵守することが求められている。つまりあなたが恋人とのデートで服屋さんに入るとき、入り口には「手を洗え」の立札、床にはおそらく1.5m間隔のマーキングがしてあって、試着をしたいと申し出れば「それではまずマスクのご着用を」と求められる。こうした環境でロマンチックなムードを味わうにはある程度の慣れが必要になるだろう。
政府からフランスの国土を二色で塗り分けた地図が発表されていて、リスクが依然高いエリアは赤、そうでないエリアは緑になっている。首都パリはもちろん真っ赤なわけだが、この高リスク地域においては公園さえも封鎖されたままだ。つまり外出が自由といえども人々には行くあてがまるでなく、おそらくは家族や友人のもとで時間を過ごすことになる。しかしここにも「集会は10人まで」という人数制限が付きまとうのだから、わずかな自由と引き換えに労働の場に駆り出されるだけだと白けた解釈をする人がいてもおかしくはないだろう。

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人口における陽性者の割合や医療体制の余力によって分けられている。はじめ黄を含む3色だったものが更新されて2色に。色の違いを跨いでの移動に特別な制限はないが、あらゆる地点から100km以上の移動には証明書が必要となる。

 第三の理由についてだが、これはぼくの私的な見解であると前置きをしておかなければならない。ぼくはけっこう真剣に思うのだけれど、この8週間に及ぶロックダウン生活にすっかり慣れてしまって、以前の生活様式に復帰することに戸惑いを覚えている人も多いのではないか? 毎朝の通勤の面倒くささや身だしなみに気を配ることの煩わしさは、2か月のあいだ外出の自由と一緒に人々の日常から取り除かれていた。嫌な上司と顔を合わせる必要もなく、晴れた休日に部屋で一日中テレビゲームをしていても良心の呵責を感じずに済み、どうしたって有り余る時間を自分のために使うことができたのだ。こういう生活が性に合う内向型の人間はフランス人にだって存在する。彼らは今ごろ自分の社交性を泣く泣く再インストールしていることだろう。正直に言うとぼくが正にそうだ。心の準備ができていない。できることならあともう少し、コンフィヌマンのマントにくるまれて春の陽気にまどろんでいたい。しかし役割を終えたヒーローはいつも颯爽と立ち去ってしまうのだ。

 ロックダウンが始まったとき人々はさかんに連絡を取り合った、といつかの日記で書いた。しかしもちろん全員が全員に電話をかけたわけではない。みんなそれぞれ、様子が気になって連絡をした人と、様子が気になってはいたけれどついに連絡をしなかった人と、さらには様子が気になりさえしなかった人の3つのグループを抱えている。第1グループと再会するときのストレスは非常に小さく済むだろう。しかしその他の2グループに属する人と再会した時のことを想像すると、ぼくはどうにも気まずくておへそがむずむずしてしまう。8週間のあいだ時間はたっぷりあったのに、なぜ電話のひとつもしなかったのだろう。答えはたぶん時間があり過ぎたせいだ。
 あるアンケートによれば、フランス人はこの8週間で平均2.5キロ太ったそうだ。彼らのなかのいくらかは今ごろ必死にこの超過分の削減を試みていることだろう。時間はたっぷりあったのになぜ今更、と自問しながら。答えはやはりぼくと同じで時間があり過ぎたせいなのだ。

 不安や後悔で色とりどりの6千万の人の命を胸に抱き、コンフィヌマンはなお幾つかの夜を越えていく。ぼくらを5月11日の地上に送り届けたあと、その体は朝の光に溶け入るように消えてしまって、ぼくはもう二度と彼の姿を見ることがないかもしれない。また会おう、なんて迂闊に言ったら悪く取る人もいるだろう。けれどもぼくは、彼がたたえる瞑想的な静けさや祈るような雰囲気がたしかに好きだったと言える。

 白昼に響く小鳥の歌も波ひとつないセーヌの流れも、きっとコンフィヌマンの後を追って消えてしまう。残り僅かな時間のなかで、それら全てと上手にお別れができたらいいなと思っている。

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クリストフ君の災難

 「コロナ疲れ」という言葉を知って、ぼくは過去1か月間ここに書いてきた文章の内容を反省してしまった。たしかに昨今はテレビをつけてもインターネットを覗いてもコロナウイルスの話題で持ちきりで、心の休まる隙もない。そのうえでぼくがなおもこの風潮に加担することに果たして意味はあるのだろうか? ぼくの無責任な書き物が、コロナに疲れた誰かの肩にさらなるコロナを乗っける結果になっていやしないだろうか?
 悩んだ結果、今回は5年ほど前に書いたエッセイをここに載せてみることにした。むろんコロナや感染者や隔離生活といった単語は登場しないけれど、内容はこの屋根裏部屋に関するものだから、『屋根裏(隔離生活)通信』の記事として的外れとも言えないと思う。
今の隣人ルイーズのふたつ前の隣人、クリストフ君とのあいだに起こったちょっとした非常事態の記録である。

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『クリストフ君の災難』

 部屋についている小さなシャワーキャビンの排水管が詰まってしまった。

 築百年はざらに経つパリの住宅にこの種のトラブルは付き物なのだけれど、今回はどうも様子が違う。水捌けが悪くて困るという程度の詰まりではなく、足元の水がまったく引かないのだ。シャワーを中断して外で待ってみても、10センチほどの深さを保ったままで水面は微動だにしない。排水口から市販の液剤を流し込んでみても、ラバーカップ(俗にいうスッポン)でずこずことやってみても、豆腐にカスガイ、糠に釘である。
さてどうしようと思っていると、壁の向こうのとなりの部屋からもずこずこという音が聞こえてくる。やがて音が止んだかと思うと、僕の部屋のドアを誰かがノックする――隣人のドイツ人学生クリストフ君である。
クリストフ君は狼狽しながら状況を説明する。彼の部屋のシャワーも同様にひどく詰まっていて、ぼくがこちらでずこずこすると、あちらのシャワーのたまり水がちゃぷゃぷと揺れるのだそうだ。そしてやはり、あちら側でずこずこしても事態は好転しないという。

 ぼくらは大家さんに電話した。すぐに人を寄こしてくれるそうだ。仲介の不動産屋からおばさんがひとりやって来て、長さ5メートルほどの蛇のような器具を排水口から差し込んで奮闘してくれたが、予想以上の困難な状況にやがて解決を諦めた。
彼女が言うには、詰まっているのは二つの部屋から伸びる排水管の合流地点らしい(図参照のこと)。つまりぼくとクリストフ君はパイプ詰まりと汚水を床下で共有する運命共同体である。しかし彼女はぼくが彼よりラッキーであるという。それはぼくの部屋が隣室よりもわずかに高いところに位置するためで、迫りくる汚水の脅威にさらされるのはまず彼であってぼくではないのだ。その証拠に、ぼくの部屋で異常が見られるのはシャワーの排水機能のみで、トイレやキッチンは普段と変わらず清潔に保たれている。一方クリストフ君のほうはというと、どうやらそうでもないらしい。たしかに彼の困惑ぶりからして、状況がぼくより過酷であろうことは想像に難くなかった。あえて詳細は聞かなかったが。

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この挿絵も当時のもの。たしかに彼はこんな感じだった。


「明日プロの配管屋が来るから、それまで水回り全般を使わないように」そう言い残しておばさんは帰って行った。ぼくらの身の寄せどころを心配した大家さんは、パリに住んでいる彼女の親戚の家に泊まるよう勧めてくれ、クリストフ君はそれを受けた。大学で国際法を学ぶ彼は、可哀想に大事な試験を数日後に控えているのだ。ぼくはといえば大事な予定など何もないし、他人の家では気兼ねするので自室に留まることにした。

 これは困ったことになったと口では言いながら、ぼくは意外と何とかなるものだとも思っていた。トイレはすぐ向かいにあるルーヴル美術館のものを利用し、シャワーの代わりにお湯を沸かしてタオルで体をよく拭いた。こういう屋根裏部屋はもともと下の階の住人に仕える女中さんが住んでいたところで、彼女らは皆こうして体を清めていたはずなのだ。シャワーなんてつい最近になってから無理矢理しつらえられた、本来の屋根裏には似つかわしくないぜいたく品なのだから。

 翌日やってきたプロの配管屋はものの10分でさじを投げた。こいつぁ駄目だよ、大工事が必要だ。管理組合の同意をもらって、廊下の床まではがさなくっちゃ。何日かかるか分かったもんじゃないよ。自分の部屋でふたたび勉強に打ち込めるという期待を打ち砕かれ、クリストフ君は悲愴な面持ちで仮住まいへと帰って行った。

いよいよぼくも少しは真剣に身の振りかたを考え始めた。水を流さずに料理はできないから、冷凍食品をいっぱい買ってきて冷蔵庫に詰めた。何日間もシャワーなしではさすがに、ぼくは良くても周りが迷惑であろうから、一計を案じて市民プールに通うことにした。多分シャワーを浴びに行くだけでプールで泳いだりしないけれど、いちおう水泳パンツは買わなきゃな。

 こうした工夫にも関わらず、水を流さず暮らすというのはなかなか難しいものだった。十分気をつけているつもりでも、ちょっとしたおり、例えば歯磨きの最中などに、いつものくせで思わず蛇口をひねって水をちょろちょろと出してしまう。一度などうっかり普通にトイレを流してしまった。こうしたぼくの不注意のたびに、クリストフ君の部屋の水まわりに残された余白が、いうなれば彼のライフポイントが削られてゆく。あの真面目で物静かな罪のない青年の命運が、縁もゆかりもない注意散漫な隣人の行動に否応なしに委ねられている。その人生の不条理が何故だか異様に可笑しくて、間違えて水を流すたび変な笑いがこみあげてしまう。一体何がおかしいというのか。可哀想じゃないか真面目にやれ。そう自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、どういうわけか笑ってしまう。トイレを普通に流してしまったときなどは悪魔のような高笑いが飛び出して自分でも大変おどろいた。自分の性格がこんなにも陰湿だったとは、今まで全然知らなかったことだ。

 そして三日目の朝、排水管はあっけなく直ってしまった。管理組合から若い配管工がふたり派遣されてきて、馬鹿でかいポンプで詰まりを無理やり押し流したのだ。もちろんクリストフ君は大喜び。心底安心したという顔をぼくに向け、これでお互い救われたねという。

その素朴でまっすぐな目を見て、ぼくは自分が当惑していることに気がついた。

 それじゃあなんだ、今夜は市民プールに行く必要がないわけか。もう水泳パンツも買わなくてよくなったのか。トイレもシャワーも自分のうちで済ませられ、冷凍食品は食べても食べなくてもよく、歯を磨くにも顔を洗うにも何のスリルも伴わない、便利で快適な暮らしが戻ってきたわけか。

かりそめの非日常のなかで湧き続けていた高揚感が、排水口を見出せぬまま膝下でちゃぷちゃぷ音を立てている。

2週間後へのタイムスリップ (下)

 その牧歌的な光景を前にすっかり拍子抜けしていると、男が声を掛けてきた。
「カモっちゅうのは、豆は食べないもんですかねえ」
「いやあどうでしょう、ふだんは水草なんかを食べてるはずですが」
答える声が変にうわずってしまったのは、質問の突拍子の無さのせいではない。路上で見知らぬ人と言葉を交わすこと自体に、ぼくらはもう久しく慣れていないのだ。
「雑食性かもしれないから、明日はソーセージでもあげてみようかな。もちろん安物のやつだけどね」
男は人の好い笑みを浮かべながら言う。ぼくは1メートルの安全距離を保つため四分の一歩あとずさる。
男が言うには、カモたちは一週間ほど前からこの噴水に浮かんでいるらしい。彼らは普段ならセーヌ川で観光船の起こす波に翻弄されながら生活しているもので、こんな街なかの広場に現れることはまずなかった。『人の営みが途絶え、自然が力を取り戻す』ロックダウン以降しきりに発せられている定番のフレーズを、ぼくは今一度思い出す。
「あなた日本人でしょう? なのにマスクをしないのかい」
「いくら日本人でも、売られてもいないマスクは着けられませんよ」
男はそれもそうだと笑った。それじゃあお大事にと言い残し、ぼくは男のもとを離れる。なんだか夢でも見ているみたいだ。こんな呑気なやり取りは2週間前には期待のしようもなかった。

 人々の様子をもうすこし知りたい。いつものとは逆方向にあるスーパーに歩いて行ってみることにした。街の清掃が行われなくなったせいで、路上にはごみが散乱している。かつて漂っていた終末感はこういう細部にまだ燻ってはいるものの、春風によって道のすみへと押しやられ気味といった感じだ。パン屋が一軒営業していて、高校生ぐらいの若者がふたりサンドイッチをかじりながら出てきた。ぼくは思わずその鷲掴みの手を凝視してしまう。彼らもぼくを訝し気に見ながら傍らを通り過ぎて行った。そして視線を道の先に戻せば、やはりそこには人の姿が絶えない。

 タイムスリップものの漫画で、過去の人間が現代に迷い込んで恐れおののく場面がよくある。自動車を鉄のイノシシと呼んで石槍で挑みかかったり、ミニスカートの女の子を見て破廉恥だと騒いだり鼻血を吹いたりする。ぼくは常々ああいう描写を非常にチープだと思っていた。昔の人にだって現代人と同等の想像力と適応力が備わっているわけで、当世の風物にいちいち馬鹿みたいに驚くことを期待するのは傲慢ではないかと。その考えをぼくは改めるべきかもしれない。なにせ2週間という直近の過去からやってきたぼくでさえ、道行く先で見るもの全てにいちいち目を丸くしているのだから。いや実際のところ、たったの2週間だからこそ、この世の中の変貌ぶりは衝撃的に映るのだ。

 警察官は一応街を巡回してはいるようだ。ロードバイクにまたがった4人組のチームとすれ違ったから。その緩慢としたペダルの漕ぎようは、背中にPOLICEと書かれていなければそれと分からないほどだった。ぼくにも他の通行人の誰にも外出証明書の提示を求めることなく、木漏れ日を浴びながら気持ちよさげに遠ざかってゆく。その背中を見送りながら、おだやかな春の午後のただ中で、ぼくは一抹の不安を覚えた。今日から2週間後の未来はどういう世界になっているだろう。新規感染者の数は? 人々の危機意識は? そして、ぼく自身のそれは?

 カフカの『変身』を初めて読んだとき、ぼくは青年グレゴールが自分の身に起きた異常な事態について嘆いたり怒ったりしないことを奇妙に思った。数日のうちに虫の体をさも当たり前のように受け入れ、壁を這い回り腐った野菜を貪り食うことに何の疑問も抱かなくなるのだ。一方で彼の家族はといえば、この虫が長年家計を支えてくれていた長男であることをじきに忘れ、彼を厄介払いすることで新たな明るい門出を迎えることとなる。

「慣れること」と「忘れること」は、不条理のさなかで人間が正気を保ってゆくための一種の免疫機能なのかもしれない。何百人という死者の顔や人となりに毎夜思いを馳せていたのでは心が持たないから、ひとは彼らを自分のうららかな春の日常から切り離す。こうして街に人影が増えていく一方で、夜8時の窓からの拍手はだんだんと痩せ細り、寂しいものとなってゆく。

 ぼくはといえば、つい昨日まで虫をやっていた。人々から忘れられ、その日常から切り離される側の存在だったのだ。2週間後の未来の自分が、あのころの記憶をきちんと引き継いでいてくれたらいいけれど。スーパーマーケットへの入店待ちの1メートル間隔の行列のなかで、ぼくは自信を持ちきれずにいた。  (おわり)

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2週間後へのタイムスリップ (上)

 完全隔離生活のさなか、これはどうもカフカの小説『変身』みたいだなと思うことがあった。

 ある朝とつぜん巨大な虫の姿で目覚めてしまった青年グレゴールは、家族によって寝室にかくまわれ、壁や天井を這い回るだけの無為な生活を送ることになる。家族ははじめ献身的に世話をするが、次第に彼の存在を疎むようになり、ついにはリンゴを投げつけて彼を死に至らしめてしまう。グレゴールに食べ物を運んでやるのは彼の妹の役割で、彼女はバイオリンを習っていたから、ぼくに食糧を分け与えてくれていた隣人のルイーズがはまり役だった。彼女からリンゴが飛んでくるようになる前に、こうしてジーンズに足を通せる体に戻れたぼくは幸いだ。

 2週間の自宅療養を終え、ぼくは今日(4月10日)晴れて自由を取り戻した。ここでいう自由とはもちろん、自分の食糧の買い出しに近所のスーパーまで行けることである。祝福の花火もライトアップもないささやかな開放だけれど、当事者にとってはやはり嬉しい。天窓から覗く雲一つない青空に心をせっつかれながら、外に出るための身支度を進める。

 用意の手間が煩わしかった外出証明書だが、今回はすこし勝手が違う。政府のホームページで入力したものをスマートフォンに直接ダウンロードできるようになったのだ。それから外出条件にふたたび変更が施され「健康維持のため単独で行う運動」が朝10時から夜7時まで禁止となった。春の陽気も手伝ってジョギングに出る人が増えたため、彼らの活動を人出の少ない時間帯に分散しようとの狙いがあるらしい。ぼくが虫をやっているあいだにも世は刻々と変化していたのだ。


 部屋を出て懐かしい螺旋階段を降りはじめるも、足元がなんだかふわふわとして落ち着かない。たったの14日間のうちに体が訛ってしまったのか、それともこれが文字通り「嬉しさで地に足がつかない」というやつなのか。いずれにせよ気持ちを引き締めていこう。なにせこの国はいまだ非常事態のさなかにあって、昨日だってわずか一日で千人以上もの人が亡くなったのだから。個人的な開放に浮かれてスキップなんかしようものなら、やっぱりそれは人々の目に不謹慎と映ってしまうことだろう。最寄りのスーパーに直行して、寄り道せずにさっさと戻ってくる。これに尽きる。

 通りにつながる扉を開くといきなり通行人に出くわした。平時なら珍しくも何ともないことだが、ロックダウン以後の閑散とした街では十分驚くに値する。ましてやぼくにとってはじつに二十日ぶりに見る生身の人間だから、ぼくはほとんど感動しながら「こんにちは!」と挨拶をした。しかしこのマスクをかけた中年の男はぼくをちらりと見たかと思えば、怪訝な様子で返事もせずに通り過ぎて行った。人との接触を恐れているというふうでもなく、ただただ「なれなれしい奴だ」とでも言いたげな目つきと歩調であった。おまけにこの男、4月というのに半袖短パンだ。
 ぼくはわずかに興が削がれたが、考えてみればだいたいの人は家族と共に隔離生活を送っていて、彼らにとっては人間など別に珍しくもないわけだ。むしろ伴侶と四六時中顔をつき合わせているのにうんざりして、買い物を口実に外をぶらついているという線も考えられる。それもまたひとつの不幸であるから、短パン男の不愛想も水に流そう。

 そう思い歩き始めてすぐに、ぼくは眼前の景色に異様なものを見て取った。街のあちこちに人影がうごめいているのだ。人々が白昼堂々連れだって道を歩いたり、広場のベンチでくつろいだりしている。ファミリーやお年寄りの姿もある。停留所でバスを待っている人も、煙草をふかしている人も……そんなことは当たり前だろうと言わないでほしい。このフランスはいま非常事態で、史上はじめての全面封鎖を経験している国なのだ。ぼくが熱を出すまえに最後の外出をしたときには、外を歩く人の姿など本当にまれだった。非常事態にふさわしい緊張感が確かに社会にみなぎっていて、狭い歩道で誰かとすれ違うときなどは顔さえ背けんばかりだった。

 ロックダウンが宣告された日、大統領演説で繰り返されたあのフレーズが脳裏をよぎる――「わたしたちは戦争中なのです」。そうはいっても大統領、あの男、短パンをはいてぶらついていますよ……買い物袋を提げた母子が、サイクリングを楽しんでいますよ……それに見てください、あそこの男にいたっては、噴水広場でカモの家族に豆を撒いているじゃあないですか……    (続く)

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歩きながらのスナップ。ぼくは人物を6人見つけたが、もっといるかもしれない。。
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「いちおう盗っておくか」ぐらいのカジュアルな感じで、サドルも消えていた。