屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

隔離生活のエピローグ

 自宅療養期間を終えて2週間ぶりに外出をしたら、世間の空気がすっかり変わっていたという話を前回の日記で書いた。
 この現象はパリに限ったものではなく、ちょうど河川敷のつくしのように4月初めの週末から全国で一斉に顔を覗かせたものらしい。メディアはこれを「フランス人の気の緩み」として批判的に取り上げ、専門家が第二波の到来に警鐘を鳴らしたり、医師や看護師の怒りの声が紹介されたりしたものの、けっきょく社会にかつての緊張感を取り戻させるには至らなかった。その後も野外に人の姿はみるみる増えてゆき、がらんどうだったスーパーマーケットも今では客足上々だ。窓から見える大通りにも徐々に車の往来が戻り、ぼくの屋根裏部屋はふたたび都市の騒音に悩まされるようになった。あれほどクリアに響きわたっていた小鳥たちの歌声はふたたび遠くへ追いやられてしまい、一方でぼくの体には目の痒みとくしゃみとが帰ってきた。例年よりまだ軽いとはいえ、アレルギーとはなんて律儀なものだろう。

  あれからブログを放ったらかしてしまって、ぼくが危ぶんだ2週間後の世界でさえ今ではすでに2週間前の過去になっている。日付をさかのぼって日記を書こうか迷ったけれど、今回はやめておくことにした。なぜなら、この気の緩み現象を除いては社会に特筆すべき変化が見られなかったからだ。つまり危惧された第二波らしきものは今日まで確認されておらず、新規陽性者数も死者数も4月を通じてなだらかな減少を続けてきた。そのグラフ上の坂道を転げ落ちるように危機意識を低下させながら、世間はいま来る5月11日に向けてもぞもぞと身支度を進めている。これはフランス政府からロックダウンの解除(ロックダウンを意味するコンフィヌマンに反対の接頭辞déをつけて『デコンフィヌマン』と呼ばれている)が予告されている日だ。

 解放の日はどれほどの馬鹿騒ぎになることだろうと、ぼくは外出制限のあいだよく想像したものだ。しかし意外にも、色めきだった雰囲気は社会に全く漂っていない。これについては主に3つの理由が考えられるので、ここにひとつずつ挙げてみたい。

 第一に、このデコンフィヌマンを時期尚早と考える人がけっこう多いこと。5月6日付の世論調査では、国民のじつに67%が政府のプランに不安を感じているとある。先述した気の緩みとは一見矛盾しているようだが、ようは彼らの心配の種は再開される活動のなかに埋まっているのだ。同じ調査では「通勤電車や幼稚園などでどうやって安全距離を守れというのか」というもっともな声が回答者全体の約9割から挙がっているし、再開される学校に我が子を送り出そうという保護者はわずか3割に留まった。今回のパンデミックの対応において現政権は国民の信頼を大きく損ねた(今も60%が「信用していない」)から、強い疑念が調査結果に現れるのも当然といえば当然だ。余談だが、ロックダウンに至るまで感染予防の役に立たないと政府からアナウンスされていたマスクは、11日から公共交通機関での着用が義務付けられることになった。誤りを認め良いものを取り入れるのは素晴らしいこととはいえ、市民はやはり冷笑をもってその決定を聞き入れた。

 第二の理由として、封鎖の解除が極めて限定的なことが挙げられる。外出が自由になるとはいっても、レストランやバーなどの飲食店、また映画館や劇場やスポーツジムなどの余暇的な施設は営業再開を認められない。つまり派手なお祝いのしようもなければ、以前のような娯楽に溢れた暮らしもすぐには戻ってこないのだ。商業施設は大型のものを除き営業可能ではあるが、感染対策の規定を遵守することが求められている。つまりあなたが恋人とのデートで服屋さんに入るとき、入り口には「手を洗え」の立札、床にはおそらく1.5m間隔のマーキングがしてあって、試着をしたいと申し出れば「それではまずマスクのご着用を」と求められる。こうした環境でロマンチックなムードを味わうにはある程度の慣れが必要になるだろう。
政府からフランスの国土を二色で塗り分けた地図が発表されていて、リスクが依然高いエリアは赤、そうでないエリアは緑になっている。首都パリはもちろん真っ赤なわけだが、この高リスク地域においては公園さえも封鎖されたままだ。つまり外出が自由といえども人々には行くあてがまるでなく、おそらくは家族や友人のもとで時間を過ごすことになる。しかしここにも「集会は10人まで」という人数制限が付きまとうのだから、わずかな自由と引き換えに労働の場に駆り出されるだけだと白けた解釈をする人がいてもおかしくはないだろう。

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人口における陽性者の割合や医療体制の余力によって分けられている。はじめ黄を含む3色だったものが更新されて2色に。色の違いを跨いでの移動に特別な制限はないが、あらゆる地点から100km以上の移動には証明書が必要となる。

 第三の理由についてだが、これはぼくの私的な見解であると前置きをしておかなければならない。ぼくはけっこう真剣に思うのだけれど、この8週間に及ぶロックダウン生活にすっかり慣れてしまって、以前の生活様式に復帰することに戸惑いを覚えている人も多いのではないか? 毎朝の通勤の面倒くささや身だしなみに気を配ることの煩わしさは、2か月のあいだ外出の自由と一緒に人々の日常から取り除かれていた。嫌な上司と顔を合わせる必要もなく、晴れた休日に部屋で一日中テレビゲームをしていても良心の呵責を感じずに済み、どうしたって有り余る時間を自分のために使うことができたのだ。こういう生活が性に合う内向型の人間はフランス人にだって存在する。彼らは今ごろ自分の社交性を泣く泣く再インストールしていることだろう。正直に言うとぼくが正にそうだ。心の準備ができていない。できることならあともう少し、コンフィヌマンのマントにくるまれて春の陽気にまどろんでいたい。しかし役割を終えたヒーローはいつも颯爽と立ち去ってしまうのだ。

 ロックダウンが始まったとき人々はさかんに連絡を取り合った、といつかの日記で書いた。しかしもちろん全員が全員に電話をかけたわけではない。みんなそれぞれ、様子が気になって連絡をした人と、様子が気になってはいたけれどついに連絡をしなかった人と、さらには様子が気になりさえしなかった人の3つのグループを抱えている。第1グループと再会するときのストレスは非常に小さく済むだろう。しかしその他の2グループに属する人と再会した時のことを想像すると、ぼくはどうにも気まずくておへそがむずむずしてしまう。8週間のあいだ時間はたっぷりあったのに、なぜ電話のひとつもしなかったのだろう。答えはたぶん時間があり過ぎたせいだ。
 あるアンケートによれば、フランス人はこの8週間で平均2.5キロ太ったそうだ。彼らのなかのいくらかは今ごろ必死にこの超過分の削減を試みていることだろう。時間はたっぷりあったのになぜ今更、と自問しながら。答えはやはりぼくと同じで時間があり過ぎたせいなのだ。

 不安や後悔で色とりどりの6千万の人の命を胸に抱き、コンフィヌマンはなお幾つかの夜を越えていく。ぼくらを5月11日の地上に送り届けたあと、その体は朝の光に溶け入るように消えてしまって、ぼくはもう二度と彼の姿を見ることがないかもしれない。また会おう、なんて迂闊に言ったら悪く取る人もいるだろう。けれどもぼくは、彼がたたえる瞑想的な静けさや祈るような雰囲気がたしかに好きだったと言える。

 白昼に響く小鳥の歌も波ひとつないセーヌの流れも、きっとコンフィヌマンの後を追って消えてしまう。残り僅かな時間のなかで、それら全てと上手にお別れができたらいいなと思っている。

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