屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

祝福の日 (その夕べ)

 かくしてぼくらはコーヒーを求めて混沌の街をさまよい始めた。
 とはいえ、おいしい一杯にありつける確率はそんなに高いほうともいえない。飲食店はまだテイクアウトでの営業しか許されていないため、カフェはみなシャッターを下ろしたままなのだ。営業許可が出ている商店も、初日における開店率は30パーセント程度に見えた。多くの店は真っ暗なままか、それでなければ営業再開にむけて突貫工事の最中だ。

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園芸用品店とパン屋。

 多くのお店が出入り口の真ん中に仕切りを設け、入退店の動線を作ろうと努力している。パン屋の床には入り口からレジまで等間隔のマーキングが施されていて、ちょっと等身大の双六みたいだ。床屋が意外にも繁盛していないように見えるのは、座席をひとつ飛ばしでしか運用できないせいだろうか。

コンフィヌマンの終わりが予告されたころ、SNSでこういうジョークを見かけた。

「看護師の次は美容師のために拍手をしよう。今度は床屋が溢れかえる番だぞ!」
ぼくも伸び放題の髪の毛をかき上げながら、上手いこと言うなあと感心したものだ。でもそれならいっそ、家から出てきた人々がみんな長髪に髭もじゃのヒッピーになっていたらどうだろう。床屋になどもう行こうともせず、かつての時間に追われる暮らしや矛盾だらけの社会システムを見限って、愛と平和とエコロジーで成る新たな世界の建設に乗り出す6千万のフランス人たち……
ヒッピーは行き過ぎだとしても、実際そんなデコンフィヌマンをぼくは少しだけ夢に見ていた。芋虫が蛹の眠りを経て美しい蝶になるように、人類もまたふたたび外の世界へ出るとき、これまでとは違う未来へのヴィジョンを胸に抱いているのだと。

 しかし現実はいつも味気ない。見たところデコンフィヌマンは羽化というより脱皮に終わった。夢中で葉っぱをかじっていた芋虫がはたと手を止め、身を固くしたと思ったら、殻を脱ぎ捨てて這い出したのは以前とさして変わらない芋虫――そんなイメージが頭をよぎったのは、人気アパレルショップの前に伸びた入店待ちの行列を見てのことである。入口にアルコールジェルのボトルを持ったスタッフが立っていて、先頭の客の手にチュッと出してから少しずつ店内に入れている。

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「なんか気に入らなさそうだね」という友人の指摘に、ぼくはそういうわけでもないけれどと口ごもる。
「服だってもちろん大切だけどさ、なにも初日から行列してまで買うほどの物じゃないような……」
「それじゃ、何買えば納得するのさ」
「たとえばほら、そうだな、園芸用品とか」
「それって単に好みの問題でしょ?」
ひねくれたぼくを容易く言い込めて、彼は軽やかな足取りでスニーカー屋に入ってゆく。人生を楽しむことにおいて彼はいつでも卓越している。蛹のなかでひとり鈍重なブログを書き綴ってきた人間と、インスタグラムのフォロワーを増やした人間との差がここにある。なんとなくそういう気がする。

 案の定、コーヒー探しは難航した。パリの街なかでコーヒーが見つからないなんて夜空から星が消えるようなものだが、実際にそれが二か月間も続いたのだから恐ろしい。戦時中でさえこういうことはなかっただろう。テイクアウトのみで勝負しているピッツェリアがけっこうあったから、ぼくたちもぼくの馴染みの店に行ってみることにした。
 エジプト出身のピザ職人はぼくの顔を見てひどく喜んでくれた。英語とフランス語とイタリア語のごちゃまぜの言葉で、「よく来たな兄弟、元気にしてたかい。友達や日本のご家族も変わりないか」と聞いてくる。去年の夏に似顔絵を描いてあげてから、彼はぼくにとても親切にしてくれるのだ。エスプレッソの代わりに缶ビールを2本もおまけしてくれた。「商売は上手くいってるか」なんて尋ねるまでもなかったから、ぼくらは互いが無事であることを喜び合うにとどめておいた。

 広場にできた陽だまりに座って缶ビールを飲みほしてから、ぼくたちは割にあっさりと別れた。
「それじゃ、また近いうちにね」
「明日からの勤務再開、がんばって。手だけはこまめに洗ってね!」
手洗いへの言及を除けば、そのやりとりは元の世界で慣れ親しんだそれと何ら変わったところがなかった。もしや今日始まった新しい世界って、せいぜいマスクと石鹸と、この新しい挨拶で事足りてしまうものなのか?

 帰り道はもういちどセーヌ川沿いを通った。下りはじめた太陽の光が河岸の景色をレモンイエローに染めている。そのなかに浸りこむように、人々の幸福なシルエットが川のほとりに点々と咲き連なっている。ああ、いいなあ。暖かいなあ。たとえ蝶々の成りそこないの突貫工事の再出発でも、昼間に誰かと外を歩ける。それだけで人間はこんなにも幸せだ。
 岸に腰かけた若者たちのあいだで、ずんぐりとした中年男がプラスチックのカップロゼワインを注いでいた。そうしてカップを太陽めがけて持ち上げて、ひとりで乾杯の仕草をしている。西日に打たれたその横顔には満面の笑みが輝いている。ワインボトルのとなりに横たわる赤と黄色のチューリップの花束。誰かが来るのをここで待っているのかな。たとえ誰も待っていなくても、花束を携えて太陽に向かって乾杯するのに何ら不自然なことはない。今日はそういう祝福の日だ。

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