屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

祝福の日 (その朝のこと)

「フランス語のいかなる辞書にもdéconfinement(デコンフィヌマン)なんて言葉はない。『コンフィヌマンの終わり』のことを言いたいのなら、無闇に新語を作らずそのままfin du confinement(ファン・デュ・コンフィヌマン)と言うべきではないか」――ロックダウンのただ中で生じたこの優先度の低い議論は、この国がもつ偏屈者の学者のような一面をよく象徴している。

(コンフィヌマンについてはこちらをどうぞ→やがて愉しきコンフィヌマン - 屋根裏(隔離生活)通信

 この問に対するある言語学者の見解はこうだ。「どちらの言い方も間違いではありませんが、ニュアンスに若干の違いが生まれます。後者がパンデミック終結による日常の再開を思わせるのに対して、前者はコンフィヌマンの解除から後者の状態に至るまでの通過点といった意味合いです」
 彼の意見が正しいとするなら、きょう5月11日、ぼくらが経験しつつあるのは紛れもないデコンフィヌマンだ。どんな辞書にも歴史の本にも載っていない、フランスが初めて生きる一日。

 その朝、目を覚ますなり見上げた空は灰色の雲に覆われていた。ぼくは再び目を閉じて今日という日をリロードしたくなる。一昨晩の嵐で感じた不吉な予感が、まるでいきなり的中したかのようだった。時刻は8時半。ベッドから這い出すとなんだか肌寒い。天窓を押し開けて外を覗けば、屋根には小雨の降った跡さえ付いている。大通りに車は通っていないが、歩道のうえには地下鉄の駅に向かう人々の姿がまばらに見られた。顔の半分を覆うマスクといい、縮めた肩を覆う暗色のコートといい、ウイルスの脅威のいまだ消えぬなか通勤を再開せざるを得ない彼らの陰鬱な心情をそのまま具現化したみたいだ。

f:id:Shoshi:20200513093911j:plain


 食器洗剤で洗った林檎をかじりながら、まあこういうデコンフィヌマンもありかなと考える。この陰湿な天気のもとでは外出する気もそう起きないから、結果として新たな感染の抑制に繋がるだろう。ひねくれもののパリの空よ、喉元過ぎれば熱さを忘れる愚かなぼくらの出鼻をくじいてくれてありがとう。それでなくても、ぼくは呼吸苦を経験して以来、隔離生活から自分を解き放つことにずっと不安を感じてきたのだ。症状が消えてからすでに1か月半も経っていて、もはや他人にうつすリスクはないと言われているけれど、それだって「いま分かっている限りでは」という但し書き付きの情報だ。この新しい人類の難敵は、過去数か月のあいだに幾度ぼくらの想像の域を越えてきたことか分からない。

「でもそんなこと言ってたら、いつまで経っても外に出られないよ。そのまま一生屋根裏部屋に引きこもって暮らすつもりなの?」
花屋の友人がこう痛いところを突いてきたのは昨日のことだ。彼のお店は12日からの営業再開で、思いがけない長期休暇の最終日に散歩でもしようとぼくに電話をくれたのだった。ぼくは少し迷ったあとで、もしも午後お日様が出ていたらセーヌ川のほとりを歩こうと約束した。

 隣の部屋のドアが閉まる音がして、ルイーズの足音が廊下をぱたぱたとせわしなく通り過ぎていく。あれほどウイルスに怯えている彼女も、今朝から職場への復帰を命じられてしまった。オフィス内の人数を減らすために、これからは同僚と二日交代でテレワークをしていくらしい。代われるものならぼくが代わりに仕事に行ってあげたいけれど、代わったところで上司が迷惑するだけだろう。

 ぼくにはぼくで、外出制限が解除され次第取り掛かるべき仕事があった。画家の友人李さん(ある老画家の脱出劇 (一) - 屋根裏(隔離生活)通信)のアトリエに届いた郵便物を回収し、いま彼がいる台北の自宅に転送してあげなければならない。ロックダウン決行があまりに突然だったもので、国際転送の手続きが間に合わなかったのだ。郵便物は建物の管理人さんが保管してくれているはずだから、ぼくは彼女に電話をかけた。

「もしもしマダム・カルドーソ、お久しぶりです。ぼく李さんの友達の…」
「あら久しぶり。あなたパリに残っていたのね? ムッシュー・リーと同じ飛行機で帰ったものかと思っていたわ」
「10平米の屋根裏部屋に閉じ込められていました。そちらはお変わりないですか? 旦那さんも娘さんもお元気で?」
「ええ、今はね」
「『今は』というと?」
「わたしと娘がかかったわ、例のコロナウイルスに」
ぼくはこめかみを急に小突かれたような気がした。
「娘が最初に発症して、一週間後にわたし。あの子、駅前の薬局で働いているでしょ?コンフィヌマンのあいだも出勤してたから、多分あそこから持ち帰ったのよ」
「それで、娘さんは良くなったんですか?」かぶせるように尋ねてしまった。娘さんに会ったことはそう何回もないけれど、いちど自分で撮ったたくさんの写真をぼくに見せてくれたことがある。両親の故郷ポルトガルの自然を素直に切り取ったいい写真だった。
「さいわいね。でも若いあの子のほうが症状が重かったのよ。熱と咳と息苦しさと、言われてる症状はほとんど出たわ。検査で陽性反応が出たけれど自宅療養になって、よくなったところで今度はわたし。でももう二人とも大丈夫、なんたって4月始めのことだから」
ぼくはほっと胸を撫でおろす。と同時に、背中に悪寒が走るのを感じる。
ぼくのもとにだけ来たわけではないのだ、あの透明の怪物は。ぼくらが籠城していたあいだもこの街を執拗にうろつき回り、かつて李さんが恐れたとおり、彼のアトリエの扉の前にまで差し迫って、そして静かに引き返していったのだ。
自分が外れくじを引いたぶん、知人の身には滅多なことが起こるまい。なにかそういう確率論的な油断をぼくの心はしていたようだが、そんなものにはなんの根拠もないことがいま明らかになってしまった。
「ふたりともご無事でほんとによかった。これからも気をつけましょうね。ところで、李さんの郵便物なんですが…」
「いっぱい溜まってるわ。明日でよければ取りにいらっしゃいな」

 管理人さんとの通話を終えると、心がそわそわと落ち着かなくなってきた。ぼくは続けて老齢のモデル、ロディオンに電話をかけてみる。李さんがフランス脱出を決意したことで、彼に頼んでいたポーズの予約をキャンセルせざるを得なくなったとき、彼は気分を損ねるどころか電話の向こうでいかにも愉快そうに笑っていた。おおらかで屈託のない、どこか東洋の仙人を思わせる笑い声だった。
「お生憎さま、あなたのモデルはいま留守です。御用の方はお名前と電話番号を残してください。できるだけ早くお返事しますから」
呑気な声の留守電メッセージのあとで、ぼくは簡単な言葉を残して通話終了ボタンを押した。部屋が一瞬しんと静まる。

 なんだか人に会いたくなってきた。誰かしらと再会して、そのつつがない姿をこの目で確認したいのだ。握手もビズも交わさぬままの、マスクと安全距離を隔てての、憂鬱で不吉な雲の下での再会であっても結構じゃないか。それこそ模範的デコンフィヌマンだ。一方このままうちにいたのでは、それは単なるコンフィヌマン。つまり過去への後退だ。いつしか「ファン・デュ・コンフィヌマン」にたどり着くために、社会は前進しなければならない。
 ふいに部屋のなかが明るくなった。天窓を見上げると水色の空が、分厚い雲を押し分けながら淡い光を空中に撒き散らしている。ぼくはもう一度電話を手に取って、花屋の友人にメッセージを送った。「お日様が出てきたようだから、やっぱり午後は散歩に行こうか」。        (つづく)

f:id:Shoshi:20200513092508j:plain
f:id:Shoshi:20200513092631j:plain
これはその前日の晩、カーネーションのおすそ分け。フランスでは母の日はもう少し先なのだけど、偶然スーパーに売られていた。買い物バッグをこうして廊下に追い出してしまうくらい、隣の姉妹はウイルスを怖がっている。

(モチベーションを維持するべく『にほんブログ村』に参加しています。下のほうにあるバナーをクリックしていただくと筆者は大変喜びます!)