屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

市場の寸劇

 市場の正面に柵が敷かれて、以前のようにふらりと勝手に立ち入れないようになっている。警備員が人数を加減しながら中に通しているらしい。ぼくの前にはすでに30人ほどの買い物客が行列を作っていた。さいわい皆マスクをしている。ロックダウンのはじめごろに散々危険と騒がれたせいか、それとも中高年の客が多いからか、ここにくるまでに見た人たちとは意識がずいぶん違うみたいだ。
(この記事は前回のものの続きです。よろしければまずこちらをどうぞ→マルシェへ下る道 - 屋根裏(隔離生活)通信

 その急ごしらえの入り口のそばで、白髪交じりの男がふたり楽器のチューニングをしていた。ひとりはガットギター、もうひとりはオーボエ。いずれもしわの刻まれた褐色の肌をしていて、くたびれたツイード上着といいぼろぼろの譜面といい、絵に描いたような流しの楽士だ。ここで見るのは初めてだから、決まりの場所が封鎖されて演奏ができなくなったのかもしれない。そんな観察をしているあいだにぼくの入場の番が来た。アルコールジェルを掌に受け取り、久々の市場に足を踏み入れる。

 いちばんに気が付いたのは通路が広くなっていることだ。以前は広場を貫くように3本の道が伸びていて、それぞれの道の両側に店が軒を連ねていたのに、今朝はそれが左右の2本だけになっている。これまでは他人と肩を擦り寄せ合わせながら、前の人の踵を踏まぬよう小股でちょこちょこ歩くのが普通だったから、客にとってはずいぶん買い物がしやすくなる。反対に不便になった点は、客が品物に手を触れられなくなったこと。市場の野菜や果物は量り売りが基本で、望む量を自分で袋に取って店員に計量してもらうのが一般的だった。しかし今ではお店の人に「あれをとって、これをとって」といちいち頼まなければならず、お互いにちょっと面倒くさい。
 面白いのが、これは規則なのか自発的なのか分からないけれど、ほとんどの店がスタンドの骨組みの支柱のあいだにラップフィルムを張っていることだ。この即席のバリアーを側面にまで張り巡らせた店もあって、中はさぞかし蒸し暑いだろうと気の毒だった。とはいえよく見まわしてみればバリアーに対する店の態度はまちまちらしく、煩わしさに耐えかねてついついフィルムをたくし上げてしまったような店や、ちっとも乗り気でないけれど世間体のために仕方なく、と言わんばかりの店も目についた。そういう店ではフィルムはわずかに5センチほどの幅になっていて、上も下もがらがらの隙だらけ。なんとなく、肥満の人が横に引っ張って無理やり履いたパンツを思わせた。

f:id:Shoshi:20200525010737j:plain
f:id:Shoshi:20200525010555j:plain
f:id:Shoshi:20200525010922j:plain


 それにしても、野菜も果物も値段が高い。正確に言えば安いものが少ない。物流がまだ安定せず、安価な外国産野菜が以前のように豊富に揃っていないのだ。そりゃあもちろん地産地消に越したことはないけれど、貧乏人は手を伸ばすのを躊躇してしまう。遠巻きに立って値札を盗み見していると、若い売り子の元気な声がぼくに向かって飛んできた。
「ハロー!もっと近くで見ていきなよ。兄さん中国から来たのかい、ニイハオ」
「ニイハオ。残念、日本からだよ」
「ああそうか。じゃあ、コンニチハ!」
「おお、やるねえ。ところできみ、ぼくに英語で話しているけど、たぶん近ごろ観光客ってあまりいないんじゃないかな」
ぼくは彼には見覚えがある。観光客も多く訪れるこの市場で、何か国語もの言葉を駆使して客の気を引く努力家だ。しかしその手にあまりに慣れてしまったせいで、激変した環境にまだ順応しきれていない様子だ。彼は複雑な笑みを浮かべて、言語をフランス語に切り替えた。
「さあ何を買っていく?」
「じゃあアプリコットを少しだけ」
「すこしだけ、ね。これくらい?」
「ちょっと多いよ、その半分でいい」
彼は三分の一くらいを袋から売り場に戻して、残りをさっさと秤に乗せてしまう。
「2キロも買ってもしょうがないんだけどな」
ぼくはバリアーの上に手を回し、3ユーロを彼に手渡した。どうもこの市場の新システム、油断をするとちょっと食費がかさんでしまいそうだ。

f:id:Shoshi:20200525021831j:plain

統計があるか知らないが、市場の利用者はやはり中高年が主という気がする。

 目の前にふいに紙切れが差し出され、ぼくはまたしても足を止めた。
「ボンジュール、ジューン・オム(青年)。ちょっとお話しませんか」小柄な中年男の気弱そうな瞳が眼鏡の奥からぼくを見上げている。「今回のこの甚大な被害、あなたはどう思います?」
言葉に詰まって、ぼくは無意識に紙を手に取る。それは白黒の機関誌で、太字でこういう見出しが付いている――『パンデミックと資本主義経済 解決のカギは革命と真の社会主義』。はたして革命が感染症をどう治すのか気になるところではあったけれど、面と向かって彼に聞くのは挑戦的で失礼な気がした。
「ありがとう、うちでゆっくり読みますね」そう言って立ち去ろうとすると、
「ちょっと、それは有料ですよ!1部1ユーロ、ちなみに5ユーロを納めてくれれば今度の集会にも出られます。打倒マクロンの定例会でね、主に青年と労働者の……」

眼鏡の奥の彼の瞳がにわかに熱を帯びてきた。ぼくは彼に1ユーロを渡して、そそくさとその場を後にする。

 生花を扱うスタンドにはまん丸の蕾を付けた牡丹がたくさん積まれていた。開花の季節になんとか間に合って、花の生産者も花自身もほっと胸を撫で下ろしていることだろう。値段は一束12ユーロ。去年はたしか8ユーロで買えたはずだ。ぼくは少しだけ迷ったあとで、市場の出入口に向かって歩きだす。市場の価格でこんなに高いなら、帰り道にあの花屋で買ってもそんなに値段は変わらないはずだ。

 市場の外に出ると、さっきの音楽家たちが演奏している最中だった。その技術も醸し出す情感も、さすがに見た目がくたびれているだけのことはある。ポケットの中に残った小銭をオーボエ・ケースに落とし入れたところで、ぼくの背後からスピーカーで増幅された歌謡曲のイントロが流れ出した。振り向けば、ああ、いつもここにいたカラオケおじさんだ。彼もどこかで苦しい2か月を耐え抜いて、自分の居場所に戻ってきたのだな。
おじさんはいつもしていたように、軽いステップを踏みながらマイク片手に歌いはじめた。スピーカーを積んだキャリーカートに投げ銭受けの紙コップがくっついている。新参者のふたりの楽師は顔をしかめながらも自分たちの音楽に徹していたが、一曲を弾き終えるや否や、オーボエ吹きが楽器を手にしたままおじさんのもとに歩み寄ってゆく。ぼくは両者から等距離を置いて事の成り行きを見守っている、いま人知れず幕を上げた寸劇のたったひとりの観客だ。
固唾を飲んでいるかと言えばそうでもない。むしろ喉は渇ききっている。無人と化した街のなかで自分が何に飢えていたのか、それをはっきりとぼくは理解した。こういう他人の人生劇場を眺めるための末席が、どこに行っても見当たらなかったのだ。

f:id:Shoshi:20200525014744j:plain

(『にほんブログ村』に参加しております。下にある『海外ブログ』というところをクリックしていただけると、読む人が実在すると分かって筆者は大変嬉しいです!)

にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村