屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

世界にブーケを (上)

 よく晴れた日曜日、朝市で賑わう広場の片隅で、ひとりの男がぼくを呼び止めた。その言葉は詩の始まりの一節のようだった。
「花束をひとつ買ってくれませんか」
男はストリートジャーナルの分厚い束を小脇に抱えている。『Journal Sans-abri(宿なし新聞)』という身も蓋もないタイトルのもので、売り上げのうち七割ぐらいが売り手の路上生活者――つまりこの男の懐に入る。けれども彼は今ぼくにそれを売ろうという気はないようだ。
「新聞じゃなくて、花束を? なんでまた?」
「ママンに贈るためですよ。だけど自分で買う金はないから、あなたに代わりに買ってほしいんです。ママンを喜ばせたいんです、わかるでしょ?」

 棄却の余地のない請求をされた気がして、ぼくは市場の雑踏のなかへ引き返した。あの男は先々月のある日曜日、同じ場所で、サンドイッチを買うための5ユーロをぼくにねだったことを覚えているのだろうか。ひょっとして、あのとき冷たくあしらったぼくの顔を彼はちゃんと覚えていて、だから今回は金銭でなく現物支給を求めたのではないか? 「ママンは赤や黄色や紫色が好きなんだ。とにかくあったかい色が。とくに黄色は大事だよ!」 今日は花屋がずいぶんたくさん店を出している。長く憂鬱な冬のあいだ禁じられていた色彩を、まるで鬱憤晴らしみたいに市場のそこここに撒き散らしている。ぼくは一介のミツバチとなって、あっちの店からこっちの店へと飛び回る。今年はじめてのチューリップの花束が高く積み上げられている。その奥にあるミモザの花は、たぶん今週が最後になるだろう。バラのブーケは華やかだけれどラナンキュラスも愛らしい。顔も知らない誰かのために花を選ぶのはひどく難しい。

 ぼくはもういちど雑踏を出て、広場のすみで新聞を売るあの男にむかって手招きをした。「(ちょっと来て、きみも手伝ってくれ。花が多すぎて手に負えないよ!)」男は顔をぱっと輝かせ、新聞の束を脇に抱えたまますっ飛んできた。ずんぐりむっくりの体躯から霜焼けだらけの両手を生やしたこの珍種のミツバチは、いちばん値段の慎ましい花束の山に留まる配慮を見せながら、その一つ一つの配色を吟味し、鼻を近づけて香りを確かめ――ついにはぼくが最初に勧めたささやかなバラの花束を選び取った。ぼくが花屋に5ユーロ札を手渡すとき、男はその目にわずかな疑いの色を浮かべて、

「これ、ほんとに、おれのママンのための花だよな?」と、ひと言おかしな念押しをした。

(つづく)

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