屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

やがて愉しきコンフィヌマン

 コンフィヌマン。こいつはべつに新手のスーパーヒーローではない。

 感染拡大を食い止めるべく多くの国で行われている外出制限・封鎖のことを、フランスではこう呼んでいるのだ。アルファベットでconfinement、「隔離する」を意味する動詞confinerの名詞形だという。7年間もフランスに住んでも知らない単語がまだまだ沢山あるもので、この言葉もまた自分がコンフィヌマンの憂き目にあって初めて知るに至ったものだ。考えてみれば『隔離』なんて日常ではまず使わない言葉だし、こんな機会がなかったらぼくは一生知り得なかったかもしれない。こういう思わぬ発見があるから、一度や二度はコンフィヌマンもされてみるものである。

 コンフィヌマン。思わず連発してしまうほど耳触りのよいこの言葉。日本では英語のロックダウンが定着しているようだけれど、ここはひとつ今からでもコンフィヌマンを採用してみてはどうだろう。なにせLockはいかついし、downなどもうそれだけでネガティヴだ。その点コンフィヌマンはといえば、なにか春風のような軽やかさ、なんならコンフィチュールのような甘酸っぱささえ漂っている。何を大げさなと思うならあなたも囁いてごらんなさい。すこし鼻にかかった声で「コンフィヌマン」。試しに一丁やってみようかという気にもなってくるでしょう。
 このコンフィヌマンという言葉、通常は囚人や病人など一部の人やモノの隔離を意味するものらしい。今日のように「老若男女みな一様に分け隔てなく分け隔てる」場合に用いられるのは、このパンデミックが初めてのことなのだ。それというのも国を挙げての一斉隔離など過去に例がないためで、そういう意味ではフランス人もまたコンフィヌマンを学び始めたばかりといえる。

 ぼくらの平和な日常にある日突然降って湧き、ありとあらゆる不便を強いるコンフィヌマン。開始からすでに20日以上が経過したけれど、世論調査によれば意外や意外、今日に至るまで国民の9割以上に支持されている大変な人気者である。現時点でフランス政府はその期間を暫定的に15日までとしているものの、回答者のじつに93%はもっと長引くだろうと考えている。現在の精神状態については64%の人がネガティヴな回答をしていて、その内訳は不安(30%)、退屈(9%)、怒り(8%)、孤独(7%)、息苦しさ(5%)など様々だ。しかし15日以降もこの生活が続くことに耐えられそうかという質問に対しては、84%もの人々が「大丈夫。延長しようじゃないか」と答えている。この点から見ても、その信頼度がわずか41%に止まったマクロン政権とは対照的に、コンフィヌマンはウイルスとの戦いにおいて国民から非常に頼りにされているといえるだろう。

 自由を愛するフランス人がこれほどの国家権力の行使をすんなり受け入れたことが意外だという声もあるけれど、これはひとえに政府が国民の生活の保障をいち早く約束したためだと思う。コンフィヌマンの登場が告知された3月16日のテレビ演説で、嫌味な生徒会長みたいに眉毛をぴくぴく持ち上げながら、マクロン大統領は自らの口でこう言いきった――「(コンフィヌマンのあいだ)フランスにおいては規模の大小を問わず、いかなる企業も倒産の危機に晒させません。いかなるフランス人も生活資金のないままに捨て置かれることはありません」。そして彼の言葉のとおり、後日発表された補償内容は人々に安心感を与え、隔離生活を甘受させるに足るものだった。

 ここは政治を語る場でもないから、その内容をざっと要約だけしてみたい。

【臨時失業手当】
 外出制限により経営困難あるいは休業に陥った企業の従業員は、その雇用形態を問わずこれまで通りの給料日に手取りの84%(最低賃金労働者の場合は100%)にあたる金額を企業から受け取る。企業は国からそれと同額の補償金を受け取る。企業の業種や規模は問われない。後述のすべての補償と同様、非常事態宣言が解除されるまでの継続が約束されている。

【定額支援金 月額1500ユーロ(約177000円)】
 経営や活動が困難になったフリーランス個人事業主、従業員数10名以下の小規模企業が対象。前年の売上高が100万ユーロ(1億1800万円)以下であることが条件。債務状態などの状況に応じて2000ユーロの追加支援も受けられる。

【育児休暇手当】
 16歳以下、または障がいを持つ子ども(年齢問わず)の親は、1日から21日間の範囲で育児休業手当を受け取ることができる。金額は一日当たりの賃金の最低90%で、うち半額が社会保険から、残りが雇用者から支払われる。自由業者も支給対象で、金額は56ユーロ(約6600円)。外出制限が延長された場合は取得可能日数も更新される。ふたりの親が同時に受給することはできない。

 保障はこれら補償金の支給のみにとどまらず、たとえば店舗やオフィスの家賃については請求の保留を働きかけたり、光熱費の支払い延期を供給会社に認めさせるなど、けっこう細かく行き届いている。税金や社会保険料の支払い延期も可能で、これはぼくも利用したいと思っているところだ。
 こうした手厚い保障のおかげか、コンフィヌマンの登場から3週間が過ぎたいまでも社会に大きな混乱は見られない。はじめのパニックを過ぎてしまえば人々はわりに落ち着いたもので、それぞれのやり方でコンフィヌマンとの折り合いをつけながら淡々と日々を送っている。じつを言うと今回はそういった、「ロックダウン」の空恐ろしい外観の内側にひそむ柔らかいところを、コンフィヌマンのマントにかくまわれた人々の意外に呑気でときに愉快な生活のことを書きたいと思っていたのだ。けれども日本に関する報道に触れているうちに補償のことが気になりはじめ、話題がずるずる横滑りしてしまった。なんでも上に挙げたような事業者への損害補償は、日本の首相の答弁によれば「現実的でない」らしい。

 ぼくには日本でレストランをやっている知人がたくさんいる。みなフランスで厳しい修業を積んで、帰国後に念願のお店を開いた。彼らはいまではお客も来ないのに店を開け続けなければならず、精魂込めて作った料理を真空パックにかけて持ち帰り用の総菜のように売ることを余儀なくされている。「外出を自粛して感染を食い止めてくれ!」「補償はしないから各自なんとか生き延びてくれ!」そうやって努力の義務やその痛みを民間にすべて押し付けるのなら、国民は一体なんのために納税をしているのだろう。

 ともあれ、ここは政治を語る場ではない。次回こそ気を取り直し、楽しい気持ちで「やがて愉しきコンフィヌマン」を書くぞ。最後にもひとつ、コンフィヌマン。

f:id:Shoshi:20200409043514j:plain
f:id:Shoshi:20200409043507j:plain
すっかり忘れていたけれど、思えばきみたちもコンフィヌマンだねえ。