屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

どうしてそれらをそんなに買うか

 前回触れた買い占めの問題はぼくの頭の中で多少あとを引いた。

 ここに載せるのは、この現象を自分なりに解釈しようと頑張った結果、ぼくが行き着いたひとつの仮説だ。はじめフランス語で書いて意気揚々とSNSに投稿したものの、苦労したわりに大して真面目に読んでもらえず口惜しい思いをさせられたので、こんどは日本列島のほうに「ねえねえ聞いて」とにじり寄っている。外出自粛で退屈しがちな今日このごろ、ここはひとつ聞いてあげるのが人情というものじゃあないか。

(以下、投稿を翻訳したもの)

 すでに話には聞いていたけれど、実際に目の当たりにするとやはり衝撃的だ。乾燥パスタとトイレットペーパーの棚がすっからかんになっている!

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 パンデミック宣言以降、まったくおなじ反応が世界のあちこちで見られたという。お尻を温水とそよ風で奇麗にしてくれる未来志向の便器の持ち主である日本人までもが、まるで必要不可欠みたいにこのロール紙に飛びついたほどだ。良識ある人はこうした買い占めを利己主義と批判し、社会学者は典型的な集団パニックと分析する。しかしこれほど全人類的な現象なのだから、ぼくとしては何かもっと科学的な、人間という存在の根幹に触れるような説明の仕方はないものかと考えてしまうのだ。

 生物のからだに本体と呼べる組織があるとしたら、それは脳でも心臓でもなく腸だという説をどこかで読んだことがある。この説をまず裏付けるのは進化論だ。生物が単細胞から多細胞に進化したとき、はじめて獲得した最も原始的な器官が腸であり、ものを考える脳や体を動かすエンジンである心臓は、より効率的に腸に栄養を取り込むために発生した追加パーツに過ぎないというのだ。ぼくらの体はもともとナマコのような管状の生物が、6億年の歳月のあいだに腕部や脚部やその他もろもろで武装した姿だというわけである。
 それを裏付けるような研究も多く発表されている。たとえば腸は中枢神経系から独立した神経系を持っていて、それにより臓器のなかで唯一脳からの指示を受けずに活動できるという。排泄は腸のなかのニューロンが独自に発火して収縮活動を始めることで促される。これが精神をいくら集中し、鋼の意志をもって抵抗を試みても、トイレに行きたいあの衝動を制御できないゆえんといえるだろう。腸管神経系と呼ばれるこのネットワークは食道から肛門に至るまでを網羅していて、それを構成するニューロンの数は脊髄のそれに匹敵するという。このことから腸を「第二の脳」と呼ぶこともあれば、いやいや発生の順序からいえば腸こそが第一だと主張する学者もいる。
 さらに驚いたことに、これら二つの「脳」は互いに情報のやり取りをしていることが近年明らかになっており、たとえば食の好みや精神状態などは腸内環境に大きく左右されるそうである。

 ということは、である。

 この食品・トイレットペーパー買い占め現象の背後に、腸による強い干渉があったとは考えられないだろうか?なぜって、これら二つの商品は栄養摂取と排泄という腸の欲求と見事に合致しているではないか。今日のような非常事態に直面した肉体の真の主たる腸が、自身の栄養確保およびその先端部の衛生を維持すべく、トイレに駆け込むときに似たあの抗いがたい切迫感をもって、ぼくらをスーパーマーケットへと掻き立てたのだ。買い占めをしない人だっている?おそらくそういう人たちは第一の脳と第二の脳とのあいだに発達の不均衡が起きているのだろう、ちょっと心配な個体といえる。

 とどのつまり、利己的なのは人々ではなく腹のなかに住むナマコなのである。集団パニックを起こしているのも人ではなくてナマコなのである。そういうことが分かっていれば、たとえスーパーマーケットからの帰り道、何も買えずに見上げた夜空の星が涙で滲んでしまっても、人間という生き物を嫌いにならずに済むというものだ。

(おわり)

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